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[パク・ノジャ ブログより] 韓国がファッショ的な社会である理由?

登録:2013-09-22 10:08 修正:2013-09-22 15:34
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 私が学校の歴史の授業で学んだ最も無惨な単語は「untermensch」というドイツ語でした。「劣等人間」、「人間以下のもの」。1941年にわが社会主義祖国を侵略したファッショたちは東欧の人口の絶対多数をそのように呼びました。もちろん、untermenschenの中には、多くの下位範疇がありました。今にも捕まえて殺すべき「劣等人間」(共産党員、軍の政治委員、軍職に就いているユダヤ人)、収容所に送ってから最後に殺すべき「劣等人間」(ユダヤ人、ボヘミアン等)、奴隷労働者として死ぬほどこき使うべき「劣等人間」(一般のスラブ人たち)……。まあ、敢えてそのように考えてみれば、日本帝国の充実な臣民であり、ファッショ・ドイツの熱烈な親友、1940~44年の間のベルリン交響楽団の指揮者であった安益泰のような「同盟国の国民」たちも、窮極的な意味ではファッショたちには単なるuntermenschenだったのです。「劣等人間」たちの範疇は千差万別だったものの、一つだけは確かでした。世界は偉大なアリア種族の主人と「劣等人間」という名の、いつ死んでも良い奴隷に分けられなければならず、この大別は世襲されるということです。これは人類が今までに遭遇した最悪の怪物、ファシズムの顔でした。

 種族民族主義か、経済的な優劣と学歴による差別かという違いはあるにしても、果して今の大韓民国はファシストたちの暗黒天地と何が違うのか、私たちは真剣に考えなければならないようです。9月16日に起こったことを見てみましょう。ある40代の男性が非武装地帯を通じて北朝鮮に渡ろうとしました。彼は誰だったのか、なぜそのような選択をしたのか、私には判断する材料はありません。一度日本への亡命を試みていることから推測すれば、おそらく人生がうまくいかなかった方のようで、また中国を通って安定的で無難に越北せずに、危険千万なDMZからの越北の道を選んだことからすれば、ある種の困難が多かった人生だったようです。中国行きの航空券を購入するお金がなかったからでしょうか。とにかく、困難でねじれた人生を送ったその方を、歩哨所の兵士たちが数百発の銃弾で当然ながら(?)殺してから起こった出来事を一度見てみましょう。軍部は軍部らしく「よくやった」と自賛し、殺された人に対する哀悼の気持ちを伝えるどころか、むしろ「徹底した警戒態勢」を自慢しました。人を殺しておきながら、このように自祝するこれらの存在は本当に人間でしょうか。保守メディアはもとより、「進歩」メディアでさえこの事態を単なる「奇妙なニュース」程度に扱っています。当然ながら殺された人に対する遺憾や哀悼の意などはみじんも見られません。一部のネチズンは、こんなに「越北しようとする人」を無惨に殺す大韓民国は果して北朝鮮と何が違うか、それでも自問したりしていますが(http://www.dailian.co.kr/news/view/386765/? sc=naver)。二つの兵営社会の間の違いは?様々な違いの内の一つは、南韓ではこのような社会を「自由民主主義」と呼んでいるという点です。

 それでは、ここで想像の翼を広げてみましょう。万が一、この越北希望者は少し有名な教授や牧師、高僧だったら?もちろん、そのような「人物」は越北しようと思えば第三国を通っていくらでも楽にできると思いますが、DMZを潜ろうとしたとしても、おそらくその歩哨所の兵士は射殺する前に、二、三回、あるいは十回考えたはずです。そして、もし射殺したとしても、その後のメディアの対応はいかに異なっていただろうかは十分想像できます。「こんな人物」がなぜ南韓社会に嫌気が差して北朝鮮を選ぼうとしたのか、メディアたちがそれぞれ問題を提起し、また非業の死を遂げた方の遺族たちの嗚咽する姿も写したはずです。「人物」なら彼の命に相当な価値が付けられ、それだけその人に対する哀悼も地上波に乗る権利があります。「人物」でない普通の日雇い労務者なら?百回殺されても、それは大きなニュースにはなりません。まさに「民主共和国」らしい「万人の平等」でしょう。この国では生も死もubermenschen(「優等人間」たち)とuntermenschenとでは徹底的に分離されています。この事実を、ファッショ的な社会で「進歩」の代役を務めている名望家の方々もよくご存じだと思います。誰も殺していない李石基(イ・ソクキ)を「精神病者」と罵った陳重権(チン・ジュングォン)教授は、このように勝手に人を殺す軍に対し、同じような発言を果してするでしょうか。もちろん、彼自身は―名望家教授である以上―このような運命にさらされないことを、過ぎるほどに熟知しているはずです。

 韓国は「自由民主主義」という皮をかぶっていても、「韓国的体制」の真の骨格はまさに徹底的な経済社会的な人種主義を主な内容とするファッショ的な社会です。そして2010年代版の新維新が深まれば深まるほど、その経済社会的な人種主義はより鮮やかに現われるでしょう。韓国のファッショ的な社会の「ユダヤ人」たちとは?「血統」とは無縁で、韓国の新自由主義的資本主義ほどには「成功」できなかったすべての人々です。家にお金がなくて大学進学が難しく、三星電子工場で白血病にかかる危険にさらされなければならない女工、いつ労災死亡事故にあうか分からない工事現場の日雇い労務者、莫大な借金を負わされている零細農民、破産寸前の状態か破産に至った零細商人、中小企業などの非正規労働者、英語ができずこの社会の文化的な主流に割りこむ確率がないあらゆる「土着」の人々……。財力、学歴、英語や欧米留学の経歴のような文化資本などを欠いたuntermenschenの命は、この国ではハエのようなものにすぎません。しかも、彼らがもし同じuntermenschen同士で世界の中心軸であるわが上国、アメリカの許可もなく恐れずに作った反国家集団である北傀に同調したり、北傀に逃げようとしたら?まあ、これは殺而無嘆、殺されても嘆くに値しない、教化不可能な下々のものなのです。北傀と内通しなくてもそうです。双竜(サンヨン)自動車の解雇者たちが次々とノイローゼや自殺で死んで行っても、メディアは少しでも気にかけていますか。それでも気を使っているかのようにみえる「進歩」陣営でも、実はそれとなく韓国的な「人間の仕分け方」をそのまま適用したりします。李石基がもし欧米に留学し、講壇マルクス主義を学んだ「西欧型革命家」だったら、果して彼は陳重権のような「進歩」たちに同じように軽蔑されたでしょうか。彼がもし英語やドイツ語に堪能で、自分の考えを欧米人たちの前で発表することができたら? 韓国式社会経済的な人種主義は、「進歩」の世界にも蔓延っています。徹底的にファッショ的な社会では、そうでない左派は果してどの程度可能でしょうか。

 多数をuntermenschenにする、殺人性の漲る社会では、果してこの事実を無視して真の人文学が成り立ちうるでしょうか。韓国でuntermenschが殺されても誰もなんとも思わないという事実を無視しては、私たちは人間らしく生きることができるでしょうか。ファッショ的な社会において、この社会と闘争せずして人間としての生はどこまで可能でしょうか。

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/61863 韓国語原文入力:2013/09/18 18:57
訳I.G(3111字)

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