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[世相を読む] 私は軍隊が嫌いだ/イ・ゲサム

登録:2013-07-27 22:38 修正:2013-07-27 22:39
イ・ゲサム(『今日の教育』編集委員)

 2008年だっただろうか、ロイター通信が選んだ「今年のイメージ」に退役海兵たちの運営する「青竜克己キャンプ」に参加した小学生たちの写真があった。十才になったばかりだろうか、泥まみれの子供たちが灰色の軍服を着て棒体操をする姿は気の毒に思えて仕方なかった。私はこのようなプログラムを見ていたたまれない気持ちになったが、テレビによく登場するこの類の青少年克己キャンプの場面は、いつも子供たちに今まで味えなかった「野性の悟り」を与えたという、学習と成長の叙事で塗りつぶされていた。

 教官は疲れきった子供たちに聞く。「よくできますか?」テレビを見ている私がつぶやく。すべてを奪っておいて、一体何ができるというのか? めがねのレンズに泥水が跳ねて色白の女の子は、ありったけの力を振り絞って「一生懸命頑張ります」を復唱する。何を、さらに、いかに一生懸命頑張らなければならないというのか。奸悪な服従の要求と目的のない盲目の誓い、子供たちに最後に残されている自然の善良さを最後の一滴までも絞り取って、「軍気」という石臼に挽いて粉砕し、遂に座りこませるその残忍な祭儀が全国でこれほど「繁盛」しているとは。そこに子供たちを押し込むように促す教育庁、このようなプログラムが持つ教育的な意味について露ほども省みないで素直に従う学校、その間に入り込み、金儲けをしようとする商売人たち、公州の五人の子供たちはこれらの人々に殺されたのだ。

 無許可業者、無資格教官たちが運営した「似非海兵隊キャンプ」と騒ぎ立てている。それならば「本物の海兵隊キャンプ」がこのようなプログラムを運営しなければならないということなのか。克己精神と協調心を培養するだと? 率直に言おう。ただ、言うことを聞かない、怠け者で、弱虫の「今の子供たち」を懲らしめてやろうという仕業ではないか。

 高校を卒業して短い大学生活を味わった、少なくない男の子たちは軍隊に入りたがる。大学が自分の人生に何らの希望も、有意味な存在でもないことを悟った子供たちは不安になり、こんな状態のままではこの冷酷な世の中で生き残れないという不安がだしぬけに押し寄せて来る。そこで子供たちが選んだ自己鍛錬の空間は軍隊だった。しかし、子供たちは本当に軍隊を選んだのだろうか。この体制が子供たちを軍隊で押し入れたのだ。

 テキパキと動かなければならない、周りの空気を読んでうまく対処しなければならない、傷は表に出さず一人で耐えなければならない、軍隊の教育学はおおよそこのような体系を持っている。未熟さ、空気の読めなさ、傷や弱さなどは払い落とし削ぎ落とさなければならない対象ではなく、人間が背負って生きていかなければならない「弱さ」であると同時に、私たちの人間性の大切な源泉の一つなのだ。未熟さが容認される人間関係、弱さを隠さなくても良い空間、傷に共に耐えて行くその過程の中で私たちは成長する。強くてテキパキと動く者たちの世界がそんなに恋しいのか。そこは暴力が平気で横行する場所、空虚な内面には生存本能だけが残っている気の毒なゾンビたちの群落地ではないだろうか。

 訓練兵時代、教官に聞いた話が思い浮かぶ。鉄兜に偽装布を被せてから、帯剣を携えて森に入り、10分以内に偽装し終えて集結する訓練があった。みんな真っ青な雑草を手折って偽装布に挿して戻ってきたが、訓練兵の一人はつつじ、レンギョウなどを一抱えも採って、丸い鉄兜を花園のように飾って戻ってきたという、ある伝説的な「顧問官」の話だった。新兵教育場を驚かせた、軍隊の教育学に無邪気なテロを敢行したある「顧問官」の「神々しいバカなまね」を思い出しながら、私は殺された五人の子供たちの運命を振り返り、辛くなる。謹んで亡くなった子供たちのご冥福をお祈りする。

https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/56/597116.html 韓国語原文入力:2013/07/25 19:07
訳I.G(1680字)

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