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[暮らしの窓] 曽祖父から/ハ・ソンナン

原文入力:2012/03/02 19:14(1699字)

←ハ・ソンナン小説家

祖父の遺品さえ残っていない我が家で最も古くなったものは?
ボールペン? ‘ステンレス’浴槽?  やだ、私じゃない

 合井(ハプチョン)駅から上水(サンス)駅に至る各所で再開発工事が始まった。顔なじみの建物と楽しく通った路地が消え、ある日工事を知らせる巨大な目隠し幕が視野を遮った。目隠しの隙間から覗いて見ると、崩れた建物の残骸が山のように積み上げられていた。 あっという間に一つの町内の痕跡が根こそぎ消えた。 この勢いなら私たちのアパートの真下まで押し寄せてくるのも時間の問題だ。古色蒼然とした建物が消えた跡にはお定まりの超高層ビルが建つのだろう。

 先日、地方から帰ってくる電車の中で横に座った先輩の故郷の話を聞いた。 いくつかの姓氏集団が集まって住む集姓村の話はなじみがうすいだけに興味深かった。 彼は曽祖父と曽祖母の行跡をはっきりと知っていた。突然に彼が私に「ひょっとして曽祖父のお名前は何とおっしゃるのか?」と訊かれるかと思ってハラハラした。 祖父ならばまだしも曽祖父について私が聞いて覚えていることは何も無かった。

 1970年私たちが引っ越してきた家は当時、家商人と呼ばれた人たちが建てて売った洋風の家だった。 路地一つ挟んで左右に立ち並んだ家は門の取っ手の形まで同じで、時々酔っ払った大人たちが他の家を訪ねて行き自分の子供の名前を呼びまくったりした。 彼らは故郷はもちろん職業もみな違った。 そのような彼らが町内の空地でサッカーをするときは呼吸がよく合った。 おそらく故郷を離れてソウルで一家を成し遂げた貧しい家庭の事情を互いによく分かっていたためかも知れない。 借金をして購入したその住居代金を返すのに腰が曲がった。 一日一日が殺伐としていて過去を振り返り自分のルーツを覚えるような余裕がなかったのだろう。私もかろうじて祖父の名前を覚えただけだ。

 家の中に由緒のある物は何一つなかった。父親の薄給を工面して月賦で買ったテレビと冷蔵庫が富の象徴だった。きらきらする新しいものであるほどより良かった。新しく買った冷蔵庫のドアを開けてみて、得意げな母の顔が生き生きしたりもしたが、その路地も今はもうない。既に路地はつぶされそこにはアパート団地ができた。

 その先輩の曽祖父の話から始まって、この頃あちこちで曽祖父という単語に接する。 一ヵ月前、日本の京都でのことだ。 私たちが泊まった日本伝統家屋の'おかみさん'は若い女性だった。 彼女は曽祖父から受け継いだ古屋を保存する方法を深く考えて、このように旅行者に開放した。6畳の素朴な畳部屋のあちこちで歳月が感じられる物を発見した。 古い家具の足はきずだらけだった。 勤勉な奥方のほうきや、いたずらっ子たちのおもちゃにかなり当たったようだ。 2階に上がる急な階段の踏み板と取っ手もどれほど多くの人々の足と手に触れたのか艶光りしていた。

 米国のある若者が地下室を清掃していて古臭い漫画本を見つけた。かなり以前に死亡した曽祖父の遺品で、彼は普段から漫画を楽しんで読んでいた。彼が収集していた数十冊の漫画の中の相当数が貴重本で、現在の市価では数十億ウォンの値をつけるという。

 私の曽祖父はどんな人だったか? もしかしたら誰に似たかも分からない私の気質の一つはまさにその祖祖父から受け継いだものかも分からない。 彼も時々私のように理由もなく不安になっただろうか。もちろん家系図を探してみれば漢字程度は知りうるだろう。そういえば曽祖父はもちろん祖父の遺品も何一つ残っていない。

 我が家で最も古くなったものなどを思い出してみた。 二十年を越えたボールペン? 私が生まれて最初入浴した‘スデン’浴槽? そうするうちにはたと気が付いた。 我が家で最も古くなったのは、やだ、私じゃない。

ハ・ソンナン小説家

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/521737.html 訳J.S