原文入力:2011/12/20 21:25(1358字)
政府が金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長の死亡と関連して、政府レベルの弔問団は送らないが北朝鮮の住民を慰める形の間接的な弔意を表わして、民間の弔問団の北朝鮮訪問を許容することにひとまず落ち着いた。決定をずっと先送りしたり弔意の表明や民間弔問さえ否定した場合に予想される、韓国内の葛藤の強まりと南北関係悪化という最悪の状況を避けようと気をもんだようだ。従来の政府の態度をかんがみる時、それなりには無難な対処かも知れないが、談話文形式の政府発表は非常に分かりにくく消極的である。国内外の保守的な世論を過度に意識した結果であるようだが、今回の機会を南北関係を画期的に改善する弔問外交の場として活用するという積極的な意志を見せることを期待したものとしては、残念な思いが強くならざるをえない。
1994年の第1次北核危機の時、北と交渉中の米国が金日成主席死亡の時に使った方法を援用したような今回の措置は、その時の米国に比べても消極的だ。当時米国は同様の弔意表明と共に交渉代表であったロバート・ガルーチをスイスの北朝鮮公館に設置された葬儀室に送って弔問するようにした。北はそれを評価したし、その後北朝鮮-米国核交渉が再開されてジュネーブ基本合意を成し遂げた。わが政府はガルーチ代表なみの弔問も許さなかったし、民間弔問も北が特使弔問団を送ってきたいくつかの場合に限った答礼レベルに制限した。
1994年の弔問論議の時、金主席を“戦犯”や“反国家団体の頭目”として非難する政府与党や保守派の言論機関の弔問反対キャンペーンが広がると、金永三政府は南北関係の将来より、すぐに票を得られる国内政治優先の弔問反対に結論を下した。その結果国内世論は分裂を極め、南北関係は元に戻しにくいほど悪化した。
政府はその時のような状況は避けたかったのだろうが、積極的な代案の提示よりは玉虫色な措置でごまかした感がある。今回と同様の行き詰った局面では、それでも評価されるだけのことではあるものの、不十分だ。何より弔問問題を北側の指導者の品性と資質を問題にする道徳論争に結び付けていく消極的な守りの姿勢よりは、弔問を南北関係と関連した政策的ビジョンを土台にした外交の場で作る積極的な姿勢が必要かと思われる。弔問は、同族として、対話相手として、また離れられない隣人として最小限の礼儀の表明でもあるが、それよりも行き詰った南北関係を解きほぐし、統一問題や核問題、経済協力問題などの解決方法を探すための議論を一段階高める機会として活用できるものだ。
金委員長の死亡は、北がもう少し開放的で安定した体制に変わるきっかけにも、統制不能な不安状態に転落する端緒にもなり得る。 南北関係も同じで、今回の機会が南北関係を画期的に変える転機にも、より一層悪化させる契機にもできる。 それは南北当事者の意志と能力にかかっている。
われわれが望む方に北がもう少し進むことを願うなら、南北関係を主導的に導きながら分断問題を解消して統一を操り上げたいなら、弔問団派遣まで含んだ積極的な弔問外交を行う必要がある。北に新しい指導部が形成されつつある今がその好機だ。
原文:https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/511150.html 訳T.W