「イランカラプテ!(こんにちは!)」
7日、北海道地域の先住民族であるアイヌ語で挨拶をしたクズノ・スギオさん(69)は「イランカラプテは『初めてお会いします』という意味に近く、本来、私たちは『イカタイテ』を『こんにちは』という意味で使います」と説明した。
アイヌ民族が言葉を失った背景には、日本帝国主義の歴史がある。アイヌの人々は、今の日本の東北地域や北海道をはじめ、サハリン、千島列島などに住んでいた先住民だ。アイヌ民族は自分たちの住む場所を「人間の土地(アイヌモシリ)」と呼び、固有の言語、暮らし、宗教、文化を保ちながら暮らしていた。しかし13世紀ごろ、今の北海道南部の端の渡島半島に移住してきた日本人がアイヌ民族と本格的に交易を開始するのに伴い、不安が芽生えはじめた。彼らはコシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)のような大小の戦争を繰り広げた。
江戸幕府は18世紀、今の北海道に「北方政策」を展開し、武力でアイヌ民族の地を掌握した。明治維新の翌年の1869年、明治政府は「北海道」へと地名を変更した。日本政府は「明治時代の近代化の過程を通じてアイヌ民族の言語も消えていった」と説明するが、実際にはアイヌ民族には苛酷な迫害が加えられた。アイヌの生きる術だった狩りと釣りは規制され、アイヌの宗教および伝統文化活動も禁止された。千年ものあいだ根を張ってきた自らの土地の所有権すらも奪われた。日本はアイヌの人々を「旧土人」と呼んだ。差別が日常化した。1899年には「北海道旧土人保護法」が施行され、日本式の教育と文化が強要された。いわゆる同化政策だ。アイヌ民族を「土人」扱いするこの差別的な法律は、1997年になってようやく「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」に置き換えられ、廃止された。
葛野さんは「私がとても幼いころには、父親をはじめとする町内の年寄りがアイヌ語で話すのが見られた」として、「100年あまり前に同化政策がはじまった。今から60~70年ほど前からアイヌ語が消えはじめ、今に至った」と話した。日本帝国主義史の研究者、マーク・ピーティーは「(日本のアイヌ同化政策は)植民地建設の実際の経験を事前に提供したもの」と評した。アイヌを通じて同化政策などの植民地占領政策についての「学習効果」を得て、それを植民地朝鮮、台湾などで実際に使ったということだ。
2019年、日本は「アイヌ施策推進法」を制定し、アイヌ民族を先住民族と認めた。日本の国会が2008年にアイヌを「先住民」と認めることを決議してから11年後のことだ。しかし、失われた言語は回復していない。葛野さんは「日本はアイヌ民族の文化を封じ込めた。すでに私たちの言葉と風俗はほとんど忘れてしまった」と話した。
2009年にユネスコが消滅危機言語に指定
「現在、日常会話ができる人はおらず
文化記録、研究資料としてのみ存在」
遅ればせながら、アイヌ民族の言語を保存しようとの努力もなされている。日本の文化庁は先月、消滅危機に直面する言語を話せる人々を育成するための「話者育成事業」に4300万円の予算を割り当てた。消滅リスクが最も高いアイヌ語は優先対象となった。アイヌ語について、文法や単語などに接したことのある人を選抜して会話ができるよう、学習環境を整える計画だ。
また、文部科学省などが支援するアイヌ民族文化財団を通じて、アイヌ語入門講座、アイヌ語ラジオ体操なども宣伝している。今年4月には衆議院に「アイヌ政策見直しに関する請願」が行われ、「初等、中等教育において、アイヌ語、アイヌ民族(歴史・文化)、アイヌ民族の人権に関する学習を教育課程に位置づけること」、「所定の単位を履修したものにはアイヌ語、アイヌ史の教員免許状を授与すること」などが提案されている。しかし、北海道環境生活部が昨年発表した「アイヌ生活実態調査報告書」によると、アイヌ民族自体が1万1450人しか残っていない。
葛野さんは「父が、アイヌ語が消えてしまうのを防ぐために、日本語の『カタカナ』表記を借りてアイヌ語とその意味を一つひとつ記録したノートがあり、108冊に達する」、「しかし同化政策などの影響で、アイヌ語で日常会話のできる人々は事実上、もはや存在しない」として、「今やアイヌ語は、文化記録という価値と研究資料としてしか存在しなくなった」と語った。今は葛野さんの息子が祖父の残した「アイヌ語の本」をもとに、北海道大学でアイヌ語を研究している。