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「日本の学生たちは『韓国併合』をよく知らない」…教科書にもっと記述が増えれば」

登録:2024-04-05 14:52 修正:2024-04-06 06:53
[インタビュー]『韓国併合』著者 森万佑子|東京女子大学准教授
1983年生まれの森万佑子教授は著書に、自身は「冷戦も韓国の民主化運動も記憶にない世代」だと書いた=森万佑子教授提供//ハンギョレ新聞社

 「日本の学生たちは、韓国併合(1910年)を日本の大陸進出の過程の一歩として学びます。植民地時代についても、土地調査事業、神社強制参拝、創氏改名、強制連行程度しか学ばず、韓国併合そのものについて関心を持つことは難しい状況です。統監府(1905年の乙巳勒約後に設置)と総督府(1910年設置)を区別できない学生も多いようです。私たちは(日本の)大陸進出の歴史を勉強して、戦争は良くないとか、悲惨なものだというふうに学びました」

 最近韓国語に翻訳された『韓国併合‐論争を越えて、再考する大韓帝国の軌跡』(「The Open Books」刊)の著者、東京女子大学現代教養学部の森万佑子准教授(40)。日本が韓国の国権を奪った韓日強制併合について、日本の若い世代はどのように認識しているのかを森准教授に質問したところ、上のような答えが返ってきた。

 この本の日本語原著は、森准教授が2年前に「中公新書」シリーズで出した『韓国併合‐大韓帝国の成立から崩壊まで』。森准教授の東京大学博士学位論文の出版物である『朝鮮外交の近代‐宗属関係から大韓帝国へ』(2017)を読んだ編集者が、大韓帝国の歴史に関する本を出そうと言い、執筆を依頼したという。

 東京女子大学で朝鮮の政治と外交を講義し今年で7年目となる著者は、今回の本を次のように自評した。「日本人学者が1995年以降に韓国併合をテーマに学術成果に基づいて執筆した初めての一般向けの本」。森准教授が言う1995年は、1931年生まれの農業経済学者である海野福寿氏が岩波新書から『韓国併合』を出した年だ。

 先月27日に電話で取材した森准教授は、著書で自身は「冷戦も韓国の民主化運動も記憶にない世代」だと紹介した。

『韓国併合』韓国語版の表紙//ハンギョレ新聞社

 最初に、なぜ30年近く「日本人学者による韓国強制合併の一般向けの本」が出版されなかったと考えるかを質問した。「一般向けの本を書くためには、学術研究が必要です。まず、韓国併合という政治外交史の研究が、(日本では)活発ではなかったという点を指摘できます。高宗に対するよくない印象もあり、大韓帝国はどうせ滅びた国だという考えも作用しました。その後、1990年代後半に高宗を開明君主と評価するソウル大学のイ・テジン名誉教授の研究が出てきて、日本でも2000年代に入ると、(韓末の)政治外交史の研究が出てくるようになりました。その頃、ちょうど中国史の研究分野でも中国を中心とした『朝貢冊封体制』についての新たな研究成果が出てきました」

 森准教授は著書で、朝鮮と日本・清の外交関係を中心に、大韓帝国がどのようにして日本の植民地に転落していったのかを探った。ここに、日清戦争の開戦背景や19世紀末の中華秩序に対する1990年代以降の日本の学界の新たな研究成果を反映した。著者によると、中華秩序の「属国」だったが内政と外交は自主だった朝鮮は、日清戦争後に締結された下関条約(日清講和条約)によって、中国の朝貢冊封の秩序から完全に外れた。しかし、高宗が大韓帝国を建てて専制政治を指向し、立憲君主制を試みる独立協会の勢力を押さえ込んだため、近代国家に成長できず、ついに内政と外交の自主すら認められない日本帝国の植民地となった。森准教授は著書に、1882年の朝米修好通商条約の締結の際、清が米国側に「朝鮮は清の属国であり自主」という意味の「属国自主」を条約文に加えるよう要求したが拒絶されたという、岡本隆司教授の研究結果(2004、『属国と自主のあいだ』より)も反映した。

 本の全体的な記述は、韓末を眺める日本の学界の見解と大きな違いはない。江華島条約から日清戦争直後までの時期について、「日本が軍事力を背景に朝鮮を条約体制による近代国家関係に引き入れた」と評したり、日本軍の景福宮占領後に発足した金弘集(キム・ホンジプ)政権の「甲午改革」に大きな意味を与えてもいる。

 森准教授は、大韓帝国はなぜ近代自主国家に進めずに崩壊したのかという問いに、「やはり高宗の政治がひっかかります」と答えた。「日本の史料を読むと、高宗はいったん条約を結んでも、名目があれば後でそれは無効になると考えていたように垣間見ることができます。加えて、皇帝に対する忠誠心があまり育っていなかったという点もあります。高宗は国(宗廟社稷)を守ろうとしたのに、当時は皇帝を守ろうとする動きは、朝鮮半島全体であまりみられませんでした」。森准教授は「(大韓帝国期の)独立協会は立憲君主制を目指しましたが、1919年の3・1独立運動以降は(朝鮮で)共和制を目指す動きが大きかったことをみると、大韓帝国の知識人の間では、日本よりも多様な政治指向があったのではないのかと考えています」として、「その点が、国民統合を難しくしたのではないかと思います」とも述べた。「高宗は、中国皇帝をモデルにし、また西欧列強の皇帝像も参考にして、大韓帝国を独自の皇帝中心の国に作ろうとしました。また、大韓帝国期に甲午改革と独立協会の活動のおかげで都市を中心に国民の形成がある程度成功しました。この二つの方向は、大韓帝国が自主的な近代国家に発展する土台になりうるものでしたが、後者は高宗が、前者は日本がつぶしてしまいました」

2年前に日本語で出版した著書を翻訳出版 
「日本の学者が書いた韓日併合の一般向けの本は 
1995年の海野福寿教授の後では初めて 
『朝貢冊封秩序』などのその後の研究を反映」 

「併合の記述量、韓日の教科書で大きな違い 
韓国は「第2次日韓協約」を強制的かつ不当に結んだ条約として教えるということを 
日本の学生たちが知れば、両国の未来世代の交流に役立つ」

 2010年から2年間、ソウル大学国史学科の大学院博士課程で学んだ森准教授は、自身の研究が韓国と日本の歴史の和解に貢献するよう望む気持ちが強い。どうしたら歴史の和解が可能だろうかという質問に、森准教授は「日本人の歴史の知識が、韓国人とは異なるという点をまず知ってほしい」と答えた。「韓国の高校の歴史教科書の韓国併合過程と植民地時代の記述は約140ページある反面、日本の教科書の韓国併合の記述は2ページにすぎません。日本の教科書は、1945年以前の近代史の記述では、明治維新の成功と1941年の太平洋戦争、そして1945年の原爆被害を重く扱います。これは、現在の日本の(戦争を放棄する)憲法9条につながるからでしょう」

 森准教授は、現在の日本の学校の歴史教育の現場で、教師が1910年に朝鮮半島で起きたことを扱うのは容易でないとして、次のような希望を示した。「日本の教科書に、小さなコラム形式でもいいので、第2次日韓協約(乙巳勒約)や韓国併合を韓国ではどのように学んでいるのかについて書いてもらえたらと思います。日本の教科書は現在、第2次日韓協約を『日本が韓国の外交権を奪い、漢城(現ソウル)に韓国の外交を統轄する統監府をおいて、伊藤博文が初代の統監となった』というふうに記述します。一方、韓国の教科書では1ページの分量を割きます。現在の日韓関係の最大の問題は、この条約をどのように解釈するのかということです。韓国ではこの条約は無効であり、これに基づく併合も無効だとみなします。しかし日本は、強要された条約だが合法だとみなします。日本の学生たちは、この条約にそういう問題があることを想像もできません。しかし、韓国ではこの条約を『乙巳勒約(ろくやく)』として学んでいるということを知れば、未来世代の交流の役に立つでしょう。『勒約』という言葉は、強制的に結んだ条約という意味です」。森准教授はさらに「日本人が韓国と韓国人を分けて考えることも必要です。そのためには、韓国人と交流する場をたくさん持つ必要があります」とも述べた。

『韓国併合』日本語版の表紙//ハンギョレ新聞社

 乙巳勒約に対する著者の見解を聞きたいと伝えると、森准教授は「(条約締結の過程についての)韓国側の史料がなく、判断が難しい」としたうえで、次のように付け加えた。「日本側の史料によると、伊藤博文が条約締結のために、高宗を強圧的に追い込みました。高宗は一国の皇帝なのに、伊藤博文がなぜそのように強圧的に圧力をかけられたのか、背景と意図がよく理解できなかった面があります。韓国側の史料があれば、理解に役立つと思います」

 森准教授は、高校生だった2000年に6・15南北首脳会談をみて、朝鮮半島の統一に関心を持つようになったことが、結果的には韓国近代史の研究につながったと述べた。「大学も国際関係・地域研究専攻に入り、卒業論文は韓国が統一された19世紀末の時期を勉強し、兪吉濬(ユ・ギルジュン)と福沢諭吉の思想を比較して書きました」

 今後の研究計画については、「韓国併合を世界史のなかに位置づける研究をしたい。具体的には、ハワイと琉球(沖縄)の併合過程との比較研究に関心がある」と明らかにした。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1134949.html韓国語原文入力: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1134949.html

訳M.S

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