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尹錫悦式「韓日安保協力」…連帯なのか、親日路線なのか

登録:2022-10-24 04:08 修正:2022-10-24 07:31
[ハンギョレS]地政学の風景 
朝鮮半島の平和と日本
日本の海上自衛隊は12日、三菱重工業神戸造船所で新型潜水艦「じんげい」の命名式を兼ねた進水式を行った=UPI・聯合ニュース

 北朝鮮のミサイル発射と核実験の試みを前に、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は連日、韓国と日本の安全保障協力をその対策の一つとして強調している。尹大統領が強調する韓日安全保障協力は、韓国内で極端な反応を呼んでいる。北朝鮮や中国・ロシアなどの権威主義体制に対抗する「自由民主主義体制の連帯」とも言われれば、朝鮮半島における日本の影響力を復活させる「親日」路線とも言われる。

 日本は、朝鮮半島などアジアの国家にこの二つの動力を両方持っている。日本が元来持つ地政学的な立地のためだ。ユーラシア大陸の東端の島国である日本は、西側の地政学における海洋勢力の要所と規定される地政学的な位置づけを持つ。西側の近代地政学を切り開いたハルフォード・マッキンダーの「外側の三日月地帯」、第2次次大戦後、西側海洋勢力の戦略の基礎を作ったニコラス・スパイクマンの「リムランド」に位置する典型的な国だ。

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太平洋の覇権を揺さぶった島国

 世界の覇権を決めるユーラシア大陸の勢力の荒波を避けながらも、その先進的な文物を安定的に受け入れることができる。何より、海に進出することができる有利な位置にある。アジアにおける日本は、欧州における英国に比肩される地政学的な立地を有する国だ。日本は15世紀、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)以降の東アジアの国際情勢を決める主要国家として、中国と肩を並べていた。ユーラシア大陸勢力の侵攻から安全だった日本は、15世紀以降に全国を統一していた時期に、渡来した西側海洋勢力に一番最初に出会い、ユーラシア大陸勢力に対抗する海洋勢力の主要構成員に成長した。

 日本の地政学は、日本列島という地理的な条件にまず基づく。ユーラシア大陸から分離した日本列島は、合わせて37万8000平方キロメートルの小さくはない島国だ。英国やドイツより広い。北海道の最北端から琉球諸島の最南端まで、ユーラシア大陸を南北に3000キロメートルも覆っている。地理的な位置だけでも、ロシアから中国、朝鮮半島、台湾を経てフィリピンにまで直接的な影響を与える。

 日本本土の主要な4島は、4分の3が険しい山岳地帯だ。耕作可能な土地は国土の12%に過ぎない。しかし、温和で多湿な気候と肥沃な土壌は、高い農業生産性を有した。耕作可能な土地は、東京周辺の関東平野、大阪周辺の大阪平野、名古屋周辺の濃尾平野に集まっている。この地域が人口と文明の中心地だった。狭い地域の生産性の高い土地に集中した人口は、各地域における効率的な集産化を導いた。その一方で、3つの地域を中心に角逐する遠心化と分権化も進行した。

 15世紀までの日本は、ユーラシア大陸からの侵略からは安全だった一方、内部で激しい勢力争いを行う戦国時代で一貫していた。豊臣秀吉によって全国が統一され、徳川幕府という安定した中央政府が成立し、日本は人種・民族・言語的に安定し単一化された近代国民国家に向かう土台が急速に用意された。

 効率的な集産化が深まるなか、列島周辺の海路を利用した商業は、陸路に比べ大きな貿易量を消化し活性化した。徳川幕府時代に蓄積された日本のこのような産業潜在力は、開港により西欧の文物を消化し、爆発的に噴出した。ついには太平洋の覇権を米国と争う水準にまで上昇した。

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日本の4つの課題

 そのような過程で、日本に提起され、そして実現した地政学的な課題は4つだ。

 1つ目は、本土における中央権力と内部の統一。2つ目は、周辺の海域と島々に対する主権確保。3つ目は、日本本土に対する戦略的なアクセス経路に対する統制を通じた安全保障。すなわち、朝鮮半島と台湾だけでなく、サハリンや北方の諸島に対する統制を行うことにより、安全が保障されるということだ。4つ目は、必要な商品、資源、労働力を確保するため、軍事力あるいは交易力をシベリア、中国、東南アジアなど海外に拡張しなければならないことだ。

 日本は明治維新以降、このような地政学的な課題を追求し、最終的には米国との太平洋戦争まで辞さず、結局は敗戦した。第2次世界大戦以降、日本のこのような地政学的な課題は消滅したのではない。戦後の日本は、米国の安全保障の傘のもと、そのような課題を平和的、経済的に追求してきた。

 戦後の冷戦体制で米国が提供した安全保障の傘は、日本の伝統的な海域と周辺の島々に対する主権を保証し、朝鮮半島と台湾も潜在的な敵対勢力に移らないよう保証した。特に、米国が掌握した海路を通じて、日本は必要な資源や商品、労働力を安定的かつ割安に確保する一方、自らの経済力を全世界に投射した。日本を米国に次ぐ世界第2位の経済大国にした基盤だった。

 1990年代初め、社会主義圏の解体と冷戦終息にともない、日本の4つの地政学的な課題の追求は、異なる環境に置かれることになった。1つ目に、日本内部の経済発展と革新の動力が限界に直面した。米国の牽制により経済バブルがはじけた後、低成長が続き、国の財政の余力が低下した。特に、高齢化と人口減少は、成長と革新が停滞した社会に変えてしまった。

 2つ目に、中国の浮上と米国の相対的な弱体化により、米国はもはや日本に安定した安全保障の傘を提供できなくなり、そのような意思も失った。米国の安全保障の傘が不安定になると、日本としては、朝鮮半島や台湾が自分たちの安全保障の脅威にならないよう、直接統制しなければならないという誘惑と必要性を感じるようになる。

 日本は、20世紀初頭とは違い、朝鮮半島や台湾を直接統制する力量が減ったため、日本のそのような誘惑と必要性は、朝鮮半島に機会とリスクを同時に生じさせる。日本は、冷戦が終結した1990年代初頭、北朝鮮との国交正常化に先に乗りだすなど、朝鮮半島の平和と安全のための先頭に立った。しかし、30年が過ぎ、米国のドナルド・トランプ政権時の朝米交渉を妨害するなど、南北朝鮮の和解に否定的な役割を果たした。一体、それまでの間に何が起きたのだろうか。それを知ってこそ、尹錫悦政権の韓日安全保障協力の主張も、その正当性の有無を問うことができるはずだ。

チョン・ウィギル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1063776.html韓国語原文入力:2022-10-22 10:19
訳M.S

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