豊臣秀吉が1592年、壬辰倭乱(文禄の役)を起こし先鋒将軍の加藤清正に朝鮮侵略のために出動するよう命令した文書の原本が発見された。
愛知県の刈谷市歴史博物館は27日、豊臣秀吉が加藤清正に朝鮮に攻め込むよう命令した朱印状(印鑑を押した公文書)をある寺で発見したと発表した。豊臣の命令内容は史書に出てくるが、朱印状の原本が発見されたのは初めてだ。朝鮮侵略に出た黒田長正が受けた命令書が発見されたが、印鑑が押されてない写本だった。
朱印状には「以前に手紙にも書いたが、(対馬の支配者で日本軍の案内人の役割をした)宗義智、(別の先鋒の)小西行長に高麗(朝鮮)出兵を命じたので、お前も出陣せよ。陣列を固めて早く知らせよ。異国(朝鮮)の者がそんなに強くないと思って決して油断しないように」と書かれている。豊臣は「皆で相談して円滑に進めるように」とも述べた。
横125.5センチ、縦21.5センチの大きさの朱印状には龍の形が特徴の豊臣の印が押されている。日付は旧暦3月23日と記録されている。当時、豊臣は京都におり、加藤は熊本にいた。この命令を受けた加藤は旧暦4月18日、大軍を率いて釜山(プサン)に上陸した。豊臣は同様の内容の朱印状をほかの大名(武将であり領主の階級)の数人にも送ったものと推定される。
日本では文禄・慶長の役を日本軍が朝鮮を侵略したとは言わず、「朝鮮に出兵した」とだけ表現する場合が多い。最近検定を通過した日本の小学校教科書に「朝鮮に大軍を送った」とだけ記述した出版社もある。