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「朝鮮人 竹槍で刺し石油をかけて焼いた」

登録:2013-09-01 23:37 修正:2014-09-05 13:09
‘関東大地震’朝鮮人虐殺90年
日本 市民団体、証言集めて資料集
同胞たちも特別展示会開き喚起
政府は‘真相究明’要求すらせず
関東大地震が起きて59年が経過した1982年9月2日、‘関東大震災時に虐殺された 朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会’会員たちと在日同胞たちが当時虐殺された朝鮮人が埋葬されたと推定される東京近郊、荒川岸辺発掘現場で犠牲者の遺骨を探している。 在日同胞写真家 ペ・ソ提供

"朝鮮人を10人ずつ縛って立たせ、軍隊が機関銃でざぁーっと殺した。 死ななかった人は線路の上にならべ石油をかけて焼いた。"

"9月3日昼だった。 橋の下に朝鮮人を何人かを縛って引っ張ってきて、自警団員らが日本刀で切り竹槍で刺したりして殺した。 妊娠して腹部が大きく膨れた女も刺して殺した。 私が見た範囲では30人余りがこのようにして死んだ。"

 日本市民団体‘関東大震災時に虐殺された 朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会’が1923年の関東大地震当時に強行された在日朝鮮人虐殺に関する証言を集め、最近発刊した資料集に出てくる内容だ。

 大地震の被害に絶望した日本人たちの間に‘朝鮮人が井戸に毒薬を入れた’などのデマが広がり、軍と警察、自警団により朝鮮人数千名が虐殺される惨劇の発端になった関東大地震が起きてから、1日で90年の歳月が流れた。 しかし当時犠牲になった朝鮮人の怨みの霊は今日なお安息の地を探せなかった。 日本政府は犠牲者の身元を明らかにせず、責任者が誰なのかも明らかにしなかった。 わが国政府もこの事件に対する真相究明と謝罪を日本に要求したことがない。

 日本の保守勢力は虐殺の歴史を隠し消すのに忙しい。 東京都教育委員会は高校日本史副教材‘江戸から東京に’に載せられた‘関東大地震朝鮮人犠牲者追悼碑’に対する文で "大地震による混乱の渦中に多くの朝鮮人が虐殺された" とされていた内容を、2013年度版では "碑石には大地震の渦中に‘朝鮮人が貴重な命を奪われた’と記されている" という内容に変えた。 朝鮮人がなぜ、どのようにして犠牲になったかを曖昧に処理してしまったわけだ。 横浜市教育委員会は中学生用副教材‘わかるヨコハマ’を改版で、関東大地震の時‘軍隊や警察などが朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、中国人を殺傷した’(2012年版)と叙述された文章の中から、軍隊と警察が関与したという部分を削除して、‘虐殺’という表現を‘殺害’に変えた。

 しかし90周年を迎えた今年には、その時の惨劇を記憶して、そのような歴史を繰り返してはならないという声もいつにも増して大きくなった。 横浜YMCAと神奈川人権センターは1日、関東大地震当時の朝鮮人虐殺犠牲者追悼碑がある横浜市久保山墓地で追悼式を行った。 「虐殺の歴史を記憶から消してはならない」ということが趣旨だ。 横浜でも記録映画上映会と講演会が開かれた。 一日前の31日には東京明治大学で‘関東大地震90周年記念行事実行委員会’主催で、追悼と学術発表を兼ねた集会が開かれた。

 同胞社会の動きも活発だ。 在日韓国人歴史資料館(館長カン・ドクソン)は去る31日から12月28日まで、東京南麻布にある資料館企画展示室で‘関東大地震から90年、清算されなかった過去’という題名の特別展示会を開いている。 民団中央本部は1日午前、関東大地震90周年犠牲同胞追悼式を行った。 例年は東京総領事が行事に参加してきたが、今年はイ・ビョンギ駐日大使が直接参加し献花した。

 1923年9月1日、東京と横浜など関東地方一帯を強打した関東大地震(規模7.9)で10万5000人以上が犠牲になった。 当時、日本軍と警察は‘朝鮮人が暴動を起こした’などのデマを組織的にまき散らし朝鮮人虐殺を主導した。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/601688.html 韓国語原文入力:2013/09/01 22:30
訳J.S(1710字)

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