原発労働者の宿舎として使っているJビレッジ(日本国家代表サッカーチーム合宿施設)から北側の福島第1原発へ行く道の両側には黄色い花が満開だった。 原発事故が起きて1年7ヶ月、2回目の秋が訪れていた。 しかし田畑は雑草に覆われており、村には人の気配は見当たらなかった。 ‘牛出没注意’という案内板が道端に立っていた。 主人が去った家から逃げ出した牛がまだ野生動物のように歩き回っていて衝突の危険があるとのことだった。
12日午前9時50分。 Jビレッジの空間放射線量は時間当り2マイクロシーベルトだった. 45人(韓国 5人)で構成された韓国・日本両国の取材団はここで防塵服に着替えて、履き物に二重にビニールを重ね履きした。 綿の手袋の上にゴム手袋も二重にはめた。 放射性物質が呼吸を通じて体内に入ったり、身体に付着することを防ぐためだった。
20km北側の福島第1原発へ向かう間、放射線数値はどんどん上がった。 7.5マイクロシーベルトと計測された原子力発電所正門を過ぎると、まもなくつぶれた原子力発電所の建物が姿を現した。 1号機の前では時間当り100マイクロシーベルトが計測された。 バスの中に緊張感が漂った。 原子力発電所の建物前のフェンスは所々よじれ、爆発の残骸があちこちにそのまま乱雑に広く散らかっていた。 2号機前にはひっくり返った車両がそのままだった。
取材団は4号機の前でバスを降りた。 4号機の建物上部は砲弾に当たったようにあちこちに穴が開いていた。 大型タワークレーンが屋上から曲がった鉄骨を吊りおろしていた。 東京電力関係者は 「最近、1号機格納容器内の放射線量を測った結果、時間当り11シーベルト(1万1000ミリシーベルト、1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト)であった」と話した。 人が1時間いれば100%死亡する強度だ。 原子力発電所周辺の放射線量も高いため、地震津波に運ばれてきたトラック、乗用車などがに赤く錆ついたままそのまま放置されていた。 高い線量のために10分に制限された取材時間が過ぎ、バスに再び乗ろうとすると東京電力職員は履き物にかぶせたビニールを一枚脱ぐように話した。
"800マイクロシーベルト、800マイクロシーベルト!"
車が出発して再び1号機のそばを通る時、放射能測定機を持っていた東京電力職員が突然大きな声で言った。 東京の何と1万倍、一時間で人が吐き気を感じるほどの高線量だ。
事故処理の拠点建物である免振棟(地震および放射能からの安全装置を備えた建物)で会った高橋毅所長は事故収拾がとても遅いのではないかという質問に、「外部から見れば遅いと言われるかも知れないが、安全問題を点検して準備を確実にした結果、それしか方法がない」と話した。 1~3号機の原子力発電所では今も時間当り1000万ベクレルの放射能が流出していると語った。 事故初期に比べれば8000万分の1だが、流出が続いているのは現在も事故が進行中だという意だ。
原子力発電所の場所に積まれている汚染ゴミはコンクリートと金属残骸4万9000立方Mなど計10万立方Mに達すると話した。 一方には原子力発電所汚染水を入れたタンクがぎっしりと立ち並んでいた。 22万tを入れられる容量だが、すでにほとんど満杯だった。 それでも増加し続ける汚染水はいつ収拾が終わるとも知れない福島事故の深刻さを雄弁に語っていた。 東京電力側は 「山側に12本の井戸を掘って、原子力発電所に流れ込む地下水の量を減らす計画」と話した。
大熊町/福島原子力発電所共同取材団
東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
原文入力:2012/10/14 21:43(1858字)