人工知能(AI)の時代、「良い質問」が注目されている。AIにどのような質問を投げかけるかによって、学習と経験の質が変わってくるという。世界の知識をほぼすべて学習したAIは、どんな質問にも答える準備ができているため、知識中心の教育から脱却し、質問の仕方に集中すべきだという声も聞こえる。これまた穴の多い主張だ。それには5つの理由がある。
第一に、質問を投げかける行為は、人類の歴史の中で常に重要だった。生存のために絶えず問いかけなければならなかったからだ。食べても良い食べ物かどうかを問い、森で聞いた物音は猛獣なのか獲物なのかを問うた。見知らぬ者が現れた時、味方なのか敵なのか、誰と協力し誰と対峙すべきかを問うことも、共同体の生存に不可欠だった。誤った方向の問いが生と死を分けることもあった。良い質問が突然重要になったわけではない。
第二に、自然科学や工学、人文社会科学や哲学などの歴史もまた、問いかけの連続だった。物理学は、世界が何で構成されており、それらの関係はどのようなものかを問うた。言語学は、言語の本質と言語習得の過程について問うた。政治学は民主主義の条件と可能性を、人類学は文化の多様性がどのような条件下で現れるかを問うた。哲学は、存在するものとは何か、そしてそれについてどう知ることができるのかを問うた。学問の歴史は、まさに人類にとって最も重要だと考えられる「良い問いかけ」を見つけるための道のりだった。
第三に、私たちはすでに良い問いかけについて学び、教えている。学校教育の中核となる理論と概念、方法論を見てみよう。概念が良い問いを投げかけるための「ビルディングブロック」だとすれば、理論はこうしたブロックを積み上げて作られた堅実な回答だ。方法論は、質問にどう体系的に答えるかを問う。科学者たちの対話と論争によって築かれた方法論を学ぶうちに、良い質問の構造と内容を推し量ることができる。韓国教育がこれらの領域をどれほど適切に扱ってきたかについては、議論があるかもしれないが、これらは良い質問を投げかけるために不可欠な要素であることを否定するものではない。適切な質問を投げかけるために、学問的な基礎を身につけることほど有益なことはない。
第四に、「何よりも良い質問が重要だ」という言葉の根底には、AIの回答に対する信頼がある。だが、AIの回答よりもはるかに深い回答を示してくれる論文や本が、すでに存在している場合がほとんどだ。研究課題に悩む大学院生たちから、「このテーマが良さそうだなと思って調べてみると、すでに誰かが研究を尽くしていました」という話を、よく耳にする。自分が投げかけようとしていた質問に対する答えを、すでに誰かが導き出しているという意味だ。幻覚の心配がない本や論文、信頼できる報道記事を通じて知識を蓄えることが先決だ。
最後に、質問さえうまく投げかければAIが答えてくれるという話には、その答えを理解できるという前提が潜んでいる。しかし、もっともらしい質問が学習や発達を保証するわけではない。例えば、量子力学に素人である筆者が、世界的な碩学たちの講演スクリプトを集めて核心的な質問を抽出したとしよう。これに基づいたAIの回答を理解できるだろうか。部分的に、あるいは漠然と理解できるかもしれないが、中心となる論理や詳細を理解することは不可能に近い。
良い質問は天から降ってくるものではない。長年の勉強と経験、対話の中でゆっくりと形作られるものだ。質問を投げかける能力が、AIの時代を迎えて新たに浮上したわけでもない。教育が常に志向してきたが、骨抜きにされた教育課程と試験能力主義に囚われた韓国教育において、無視され抑圧されてきた領域に過ぎない。この点を見逃せば、良い質問への関心は一過性の流行に終わってしまうだろう。