個人的に最も尊敬する映画会社の人物を挙げるならば、『月世界旅行』を作ったジョルジュ・メリエスになる。彼は、映画という誕生したばかりの不思議な「技術」を、大衆が楽しむ「コンテンツ」に作り上げた。現代の文化コンテンツ産業の父と言っても過言ではない。
創成期の映画制作者が作った映画は、ほとんどが単純な構図や短い時間に収められるシンプルな内容だった。当初は「動く絵」の珍しさから財布を開いた人々は、しだいに同じパターンに飽きてしまった。映画を最初に上映したリュミエール兄弟でさえ、映画ブームはそれほど長くは続かないと考えていた。一方、もともとマジシャンだったメリエスは、映画という技術に無限の可能性を感じた。彼は派手な舞台を作ってマジックのように見える映像の妙技(トリック)で人を驚かせ、人々の心を動かすストーリーを加えた。
メリエスの不断の努力による変化は、短時間で流行のように広がって消える可能性のあった映画産業に、無限の発展の可能性を吹き込んだ。その後も映画産業は、多くの後発の文化産業の挑戦に直面した。そのたびに、映画は生き残るために様々な努力を行った。無声映画に音声を入れ、白黒画面には色を加えてカラーフィルムを作った。そうした努力によって、映画産業はテレビやゲームのような競争産業に押し出されることなく、社会的影響力の大きい文化コンテンツ分野の一つとして生き残った。停滞することなく絶え間ない変革を成し遂げたからこそ可能なことだった。
■停滞する韓国映画のいま
2023年の韓国映画の興行収入の半期の結果をめぐり、韓国映画の危機説が再点火している。ほんの数年前まで、韓国映画の地位はワールドクラスを論じる段階だった。映画『パラサイト』のアカデミー賞受賞や、ネットフリックスのオリジナルシリーズ『イカゲーム』の世界的なヒットなど、映画界には意気揚々としていた。そのように勢いに乗っていた韓国映画は、2023年に入ってから苦戦を免れなくなっている。2023年上半期の韓国映画のシェアは34.9%で、前年同期比で14.9ポイント減少した。これは、5月末に公開された映画『犯罪都市3』が2023年に初めて観客1000万人を動員したことによってなんとか挽回した数値だ。5月まで30%を下回るシェアを示していたが、これはコロナ禍の期間を除くと2004年以来の最低記録だ。
韓国映画危機論の最大の原因として、オンライン動画サービス(OTT)の浮上に伴う映画鑑賞文化の変化や、映画チケットの値上げが挙げられている。じつは韓国映画危機論は、一部の大作映画が興行で惨敗を喫するたびに取りあげられる映画界の常連メニューだ。今回も同じ流れではないかと考えられるが、業界の人々が感じる今回の危機は尋常ではないようだ。
最大の要因は映画館を訪れる観客にみられる。映画経験がまったく違う世代が主な消費世代として浮上したのだ。それによって、劇場映画に対して優先される消費価値が、コンテンツの内容よりも映画館で得られる空間的な経験の価値に左右される傾向を示すようになった。上半期の韓国の興行収入を強打した日本アニメの成功も、そうした新しい観客心理に触発されて生じたことがきっかけだった。
2023年3月に公開された新海誠監督のアニメ映画『すずめの戸締まり』は観客500万人を突破し、これまで韓国で公開された日本映画としては最高の興行作品になった。新海監督の前回の作品『君の名は。』が高い興行成績を記録したため、次回作に対する期待からある程度の成功は予想されていたが、観客500万人突破という新記録を打ち立てると予想した人はそれほど多くなかった。韓国映画が最悪の成績表を得ている間、2023年初めに公開された『THE FIRST SLAM DUNK』を合わせれば、日本アニメの興行だけで観客1000万人を超えたわけだ。
日本アニメ映画の成功は、韓国映画が現在直面している限界をそのまま示している。なぜ韓国の観客は、韓国映画の代わりに日本アニメを選択したのだろうか。多くの理由があるだろうが、2つの映画はともに「映画館で見たい映画」という共通点がある。『THE FIRST SLAM DUNK』の迫力感あふれるバスケの試合シーンと『すずめの戸締まり』の新海監督特有の映像美は、携帯電話やTV画面では満足できない。2023年8月に公開されたクリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』が、相対的に料金の高いIMAX映画館で先に売り切れた現象だけをみても理解できる。観客はすでに映画館で見る映画と見ない映画を区別し始めた。映画館で見る映画の最大の選択条件は、まさにTVやモバイル画面以上の視覚と聴覚的な快感だ。
このように観客は変化しているにもかかわらず、2023年に公開された韓国映画は、相変わらず過去の方式を踏襲している。年間で「テントポール作品」(スタジオの利益を支える大作映画)が最も多い今年の夏シーズンだけをみてもそうだ。人気俳優らが顔を並べるマルチキャスティング映画や、メロドラマ的な要素満載の感動大作映画やパニック映画。こうしてみると、毎年繰り返されてきた夏の映画市場の二番煎じだと言っても過言ではない。最終結果を論じるにはまだ早いが、いくつかの作品は損益分岐点を越えられないとみられており、一定の興行成績を上げた作品も、以前に比べれば中程度の水準にすぎない。
韓国映画の危機の主な原因の一つは、まさにマンネリズムに陥ったプロダクション運用方式だ。相変わらず、1つヒットすれば亜流作品が大量にあふれるコピー市場に、観客が魅力を感じるわけがない。テレビの映画紹介番組やユーチューブのレビューをみるだけで映画1本をまるごとみたように感じるのに、わざわざ映画館に行く必要はないということだ。
特に、新しさを恐れて安定だけを追求しようとする投資配給会社の安易な姿勢が、制作会社の挑戦意欲に冷や水を浴びせている。老若男女の誰にとっても無難な内容、適当なCG処理に人気俳優を起用したマルチキャスティングなど、いくつかの成功公式がなければ、投資を得るのが難しいということが、映画業界の公然とした事実だ。この「公式」のもとで制作会社が投資家から投資を得て映画を作った結果が、まさに今のような現実につながった。
韓国で1000万人の観客を集めるには、様々な階層の観客を満足させなければならない。メロドラマ的な内容やマルチキャスティングなどは、そうした側面において効率的な武器だった。しかし、それは10年前には通じたかもしれないが、現在は完全に異なる世界だ。もう投資会社と制作会社は変わらなければならない。
■時代の流れに合うように変化の挑戦を
相変わらず過去の興行公式にしばられた配給会社や政策会社の旧態依然さに加え、映画チケットの値上げも、韓国映画危機の一因となっている。映画1本をみるためにコストパフォーマンスを考えなければならないほどなら、明らかに映画はもはや気楽にみれるエンターテインメントとは言えない。1作品でも観客1000万人を超えれば万事OKという「テントポール大ヒット作品」の幻想から抜けだし、1世代をしっかりと掴むという思考転換がなされなければならない。
おいしいものでも食べすぎると飽きてしまうということだ。韓国映画も、時代の流れに合わせて変化しなければならない。新しいアイデアを発掘し、新人登用にも積極的になる必要がある。投資会社や配給会社も、恐れることなく自主制作作品などに目を向け、新しい俳優や監督などの人材を育成する必要がある。ある程度の冒険を受け入れた投資がなされるのであれば、新しいジャンルが発掘され続け、その過程でヒットが出てこれまでの損益を一挙に挽回することもありうる。現在のウェブトゥーンやウェブ小説ように、絶えずコピーばかりが制作され続けるのであれば、結局は人々から見放されるだろう。現在のようなエンターテインメント要素があふれる世の中では、映画市場が萎びるのは一瞬だ。
韓国映画が変化することなくこのまま突き進むのであれば、その未来の姿は明らかだ。遠くを探す必要もない。まさに日本映画界だ。かつてはアジア映画の盟主を自任して世界的な影響力を誇った日本映画界は、現在は自ら没落したと評すほど力を発揮できないでいる。背景を探ると、大型企画会社中心のキャスティングや、ありきたりな内容、冒険を恐れて人気の原作とキャスティングばかりに依存する旧態依然さが、観客を日本映画から遠ざけてしまった。
これまで韓国映画界は、多くの危機に直面した。そのたびに新たな挑戦が成功を収め、その成功が韓国映画界を危機から救いだし成長させた。私たちは、その成長が無料で得られたものではないことを知っている。ゴールデンタイムは常にすぐにやって来る。観客のために新しさを追求し続けたジョルジュ・メリエスのように、変化に変化を重ねなければ、数年後の韓国映画界は空しく過去の栄光を懐かしむ日本映画界の姿になるかもしれない。