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[ニュース分析]イ・ゴンヒ会長がもたらしたサムスンの光と影

登録:2020-10-26 06:24 修正:2020-10-26 13:25

新経営で「大胆な勝負師」 
半導体とスマートフォン技術を前面に掲げ 
年売上230兆ウォンの世界的な企業に育てる 
就任演説で「超一流企業」宣言後、 
グローバル人材の迎え入れなど、絶え間ない改革 
 
脱法と逸脱の「黒い歴史」 
エバーランドCBが違法継承の始まり 
労組設立の弾圧など「無労組経営」で悪名 
政官界の要人管理した「Xファイル」 
借名財産の裏資金で国民に謝罪も

サムスン電子のイ・ゴンヒ会長//ハンギョレ新聞社

 韓国社会でサムスンは企業以上の特別な存在として見なされてきた。その“特別さ”の背景には25日に死去したイ・ゴンヒ会長の足跡がかなりの部分で重なっている。2014年に心筋梗塞で倒れるまで、父親のイ・ビョンチョル先代会長の後を継いでグループを率いた27年間、サムスンの歩みはまさに韓国経済の地位の変化を象徴するものだった。しかし、無労組経営と違法・脱法による継承、政経癒着など、彼が韓国経済に落とした暗い影は依然として韓国経済の課題として残っている。

■品質経営と人材経営…「二頭立て神話」の種をまく

 サムスングループの主力会社であるサムスン電子の昨年の年間売上高は230兆ウォン(約21兆3400億円)。韓国政府予算(469兆ウォン)の約半分に当たる。サムスン電子が韓国経済に占める位置をはっきり示す事例だ。1980年代までは、国内家電分野でも金星電子(現LG電子)に後れを取っていたサムスン電子が、半導体メモリーやスマートフォン、テレビ、ディスプレイ分野ではグローバル1位の座まで上り詰める過程で、イ・ゴンヒ会長の根気や決断が決定的な役割を果たしたことは否めない。1987年12月、サムスングループ創業者の故イ・ビョンチョル先代会長に次いでグループのトップに立ち、就任演説で「サムスンを世界的な超一流企業に育てる」という約束を守り抜いたわけだ。

 1942年、故イ・ビョンチョル先代会長の三男として生まれたイ会長は、1966年、東洋放送やサムスン物産で経営授業の第一歩を踏み出した。父親の突然の死後、グループの経営権を受け継いで以来、彼が最も力を注いだ分野は半導体だ。1992年、サムスン電子が世界で初めて64MBのDRAMの開発に成功したのが最初の信号弾だった。

 この過程で、彼は時には厳しい経営者としての顔をのぞかせた。1993年6月に行なったいわゆるフランクフルト「新経営宣言」は、企業体質の大々的な変化を予告した。実際に1995年3月、サムスン電子の亀尾(クミ)工場で販売中の携帯電話15万台を積み上げて燃やしたのが代表的だ。当時、自社の無線電話の欠陥率が11.8%まで跳ね上がったことに対するある種のショック療法だった。

 半導体メモリーに続き、スマートフォンやディスプレイの成功にも、彼の素早い判断力が役立った。製品転換の周期が早く、迅速な技術開発と大規模な投資が欠かせないこの分野の特性をよく生かした「イ・ゴンヒ流経営」が功を奏したのだ。今も韓国経済を支える半導体とスマートフォンの「二頭立て神話」が誕生した背景だ。徹底した実績中心の人事もイ・ゴンヒ時代の特徴だ。すでに1990年から地域専門家制度を導入してグローバル専門人材を育て、国際化時代に備えた。「ハーバード・ビジネスレビュー」は2011年、「地域専門家制度はサムスンがグローバル企業として早く成功した主要な秘訣」だと評価した。

■違法・脱法による継承と無労組経営…韓国経済に暗い影を残す

 しかし、大胆な成功神話を書き上げたイ・ゴンヒ時代は、法と常識が定着した「グローバルスタンダード」とは程遠かっただけでなく、同時に脱法と逸脱の連続でもあった。1996年、サムスンエバーランド転換社債(CB)発行など、サムスン電子のイ・ジェヨン副会長のための脱法継承が始まったのもイ会長の時代だ。サムスングループが労働組合設立を妨害し弾圧してきた「無労組経営」、賄賂と政治資金で政治権力を管理し、その見返りを享受してきた政経癒着の象徴になった過程にも、彼の足跡は深く刻まれている。

 法の審判台に上ったのは当然の手順だった。イ・ゴンヒ会長は1996年、全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)特検裁判で、100億ウォン(約9億3千万円)相当の賄賂供与の事実が明らかになり、懲役2年、執行猶予3年の宣告を受けた。2005年には国家安全企画部(国家情報院の前身)がサムスン電子のイ・ハクス副会長(当時)と中央日報のホン・ソクヒョン会長(当時)との対話を盗聴した「Xファイル」を通じて、サムスンがお金で政官界の要人を取り込み、管理してきた事実が明らかになり、社会に衝撃を与えた。サムスン側の贈賄者は無傷だったが、「サムスンから収賄した検事」を公開したノ・フェチャン議員は、通信秘密保護法違反で議員職を失った。さらに2007年には、キム・ヨンチョル弁護士の暴露で、サムスンの広範かつ組織的な裏金作りやロビー、借名財産疑惑が明るみになった。翌年の「サムスン裏金特検」事件で、イ会長は国民に謝罪し、サムスン経営からしばし手を引かざるを得なくなった。

 サムスンを特徴づけた脱法・超法規的行為の種は、税金なき相続・継承とオーナー一族の変則的な系列会社支配力の維持欲求から始まった。イ・ゴンヒ会長自身が公益法人を通じて変則的に贈与を受けたように、同じく息子のイ・ジェヨン副会長など3人の子どもにも税金を払わない継承という悪習を受け継いだ。

 2008年当時、イ・ゴンヒ会長はグループ経営から退き、国民の前で頭を下げ、循環出資の解消や持株会社への転換を約束した。隠してきた借名財産の実名転換後、罰金や税金を払って、残った兆単位の金を社会に還元するという約束も掲げた。しかし2年後、「危機論」を名分に経営復帰に乗り出して以来、いまだに守られていないことが多く、イ・ゴンヒ会長の死去でこれらは韓国社会の課題として残ることになった。不法と脱法を通じて経営権継承を成し遂げようとした“秘策”が、後継者の足を引っ張っているのはもちろんのことだ。

ク・ボングォン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/967162.html韓国語原文入力: 2020-10-26 02:40
訳H.J

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