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虐待は嫌いだが、ステーキにはそそられる…

原文入力:2011-02-25 午後08:28:54(1571字)
動物に対する矛盾した態度を分析

ハン・スンドン記者

私たちが食べて愛して嫌悪する動物たち
[原題:Some We Love, Some We Hate, Some We Eat: Why It's so Hard to Think Straight About Animals…訳注]
ハル・ヘルゾーグ著/キム・ソニョン訳
サルリム/1万8000ウォン

毎日牛肉を食べながら、犬肉を食べるのを嫌悪して非難する人々は、私たちの身近にありふれている。60%の「アメリカ人が、動物たちには生きる権利がある」と「私たちは肉を食べる権利がある」とのことに同意するのだ。魚市場の日常風景として商人たちが死んだ魚を投げるのを見て楽しみながらも、死んだ猫の死体をそのように取り扱うならば、仰天をする人々が多い。子犬や猫を愛して彼らにキスまで浴びせる人が、毛皮生産のために、ミンクの肛門に電気ショックを加えるとか、アザラシの頭に棒を打ちつける残酷さには、どうして無感覚になれるのか。

それだけだろうか。毛皮コートを着て猫を愛らしく抱いている女性、豚肉は拒否するがサバは食べる自称「菜食主義者」。はるかに多く実施されるマウス実験には沈黙して、猿実験を行う研究者にのみテロを起こす過激動物保護運動家、闘鶏を残忍と非難して、フライドチキンやチキンバーガーはおいしく食べる人、7万羽の鶏を犠牲にするよりは、同量の肉をとれるシロナガスクジラ1頭を犠牲にしたほうがましと、鯨を食べようというキャンペーンを展開する動物保護団体…。

人間と動物との関係に関する研究の権威であるハル・ヘルゾーグ(Hal Herzog)ウェスタンカロライナ大学心理学科教授の『私たちが食べて愛して嫌悪する動物たち』は、動物に対する人間の思考と行動方式に由来するこの様な非一貫性と逆説の背景にある心理学、動物愛好家や保護論者などが自身の信条に執着すればするほど日常生活でさらに尖鋭にぶつかることになる道徳的問題などを、興味深い事例を挙げて派手に暴く。功利主義、義務論、認知不協和などの理論と論理を動員して解いていく手法は、マイケル・サンデルを連想させる。動物に対する人間の複雑な心理と矛盾的思考を総体的に探ってみるブレーンストーミングというのだろうか。それでも、これだという結論をはっきりと下したりはしない。いや、下すことのできないほど「世間万事はあなた思っているより、はるかに複雑だ」というのに同意する。それが結論ならば結論だ。「私の目的は、動物に対する私たちの考え方を変えるのでなく、私たちの人生で最も重要な関係に属する、人間が人間でない生命体と結ぶ関係から、人々の心理状態と道徳的意味を深く考えてみようというところにある」。そして、肉を食べると恥じて自分を責める菜食主義者たちのように矛盾に陥った人々を、偽善的だとか異常だとは考えない。道徳的に「苦しい中間地帯」で灰色眼鏡をかけているのが大多数の人間であり、それは不可避であり、むしろ正常であり、人間である証拠だと考える。

著者が挙げた人類動物学の3つの熱い争点。1番目、イルカなどの動物と一緒に遊んで互いの心が通じ合えば、うつ病が治り自閉症が改善するという話は本当なのか? 二番目、人は自分が飼っている犬に似ていくという話は本当なのか? 三番目、幼いときに動物を虐待した子供は、結局、暴力的な大人に育つのだろうか? 一番目は間違いで、二番目は正しく、三番目も違うとのことだ。

ハン・スンドン先任記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/465373.html 訳M.S