百済文化の全盛期の首都だった泗沘(サビ、現:扶余(プヨ))と、日本の古代国家の首都だった飛鳥(現:明日香村)が出会った。泗沘は538~660年における百済の最後の首都であり、明日香村には592~710年の日本の飛鳥時代に都があり、交流が盛んだった。
忠清南道扶余郡は、姉妹都市である日本の明日香村の関係者らを招き、13日まで「旧首都育成政策」などをテーマにワークショップを開くことを、12日明らかにした。この日、扶余郡と明日香村は、扶余にある官北里(クァンブクリ)、扶蘇(プソ)山城、羅城(外郭)、王興寺などの主な遺跡を訪問し、遺跡発掘計画や復元、保存の現状などを見学した。
これに先立ち、両地方自治体は11日、扶余青年センターで「高度育成」ワークショップを開いた。扶余郡の建築空間研究院が「扶余郡第3次高度保存育成施行計画」を発表し、明日香村は「飛鳥宮都整備および活用」「飛鳥高度育成政策」を紹介した。
建築空間研究院のキム・ジョンボム研究員は「扶余郡第3次高度保存育成施行計画」を紹介し、「百済の古都のアイデンティティを回復し、住民の生活を改善して活力ある歴史都市を造成している」と明らかにした。キム研究員は「扶余は泗沘都城の原形の発掘と整備を進めており、高度研究基盤を構築し、遺跡の名所化と歴史文化拠点を形成する事業を推進している。日本が飛鳥地域で遺跡存続のために土地を買収するように、韓国も土地買収が頻繁に行われている」と説明した。
明日香村の小池香津江・文化財課長は「飛鳥における都城の発掘と整備・活用」の発表を通じて、「飛鳥は古代国家の誕生のゆりかごであり、古代から現在に至るまで、美しい景観と生活のなかに飛鳥が存在する。奈良と飛鳥(明日香村)の地名が混在しているが、明日香村は地方自治体の名称で、奈良は明日香村を含む都城地域」だと述べた。
さらに小池課長は「6世紀末~8世紀始めの飛鳥には、日本で初めて都が建設された。飛鳥は538年に仏教が伝来(百済聖王)するなど、中国や泗沘と交流があり、古代中央集権国家の枠組みを完成させた」として、「奈良県の国宝・重要文化財は1328件に達し、特に明日香村には古代の都の遺跡が多い。1933年の石舞台古墳(6世紀に作られた四角形の石墓、蘇我馬子の墓と推定)の発掘で始まり、現在まで研究・調査および保存・活用研究を進めている」と説明した。
扶余郡のムン・デソン高度育成チーム長は「扶余と明日香村は、全域が屋根のない博物館と呼ばれるほど、古代遺跡が散在しており、観光を中心に農業や商業などを活性化する観光振興策が必要だ」としたうえで、「高度保存育成事業は、発掘と保存がそのまま地域の観光産業活性化に関連するという点で、住民生活と密接になっている。郡では伝統工芸や青年創作活動を支援する一方、韓国式家屋型の宿泊施設を拡充する事業を推進している」と説明した。