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[レビュー]「野蛮な朝鮮人」「模範示した戦死」…日帝のポスターに見る野望の30年

登録:2023-12-25 05:33 修正:2023-12-31 07:21
日帝強占期の全メディア・文献を網羅 
約10年の手作業で資料を収集 

啓蒙と文明化も植民地支配の一環 
戦争美化の「死の政治」が生々しく描かれ 

『ポスターで見る日帝強占期の全体史:日本の植民地主義の美学とプロパガンダ』 
チェ・ギュジン著|西海文集
慶尚北道大邱府と大邱日日新聞社の主催で1943年10月1日~11月5日に開かれた「大東亜戦争完遂・徴兵制実施記念 興亜大博覧会」のポスター。大東亜共栄圏の地図に日の丸と銃剣を描き「死の政治」を宣伝している=国立民俗博物館所蔵/西海文集提供//ハンギョレ新聞社
『ポスターで見る日帝強占期の全体史:日本の植民地主義の美学とプロパガンダ』チェ・ギュジン著|西海文集|4万5000ウォン//ハンギョレ新聞社

 欧州と米国では、1880年頃から派手な色彩の大型の屋外ポスターが数多く作られた。第1次世界大戦が勃発すると、各国は戦争を宣伝して戦意を高める目的の宣伝用ポスターを作成し普及させた。日本帝国主義も同様に、朝鮮に対する植民地統治期間中、ポスターによるこのような宣伝効果を積極的に活用した。

 歴史学者のチェ・ギュジン教授(青巖大学在日コリアン研究所研究教授)の『ポスターで見る日帝強占期の全体史』は、1915年から1945年の植民地解放(日本の敗戦)までの間に日帝が制作し配布したポスターを分析し、その中に含まれた帝国主義イデオロギーを示した著書だ。著者は「日帝強占期のメディアと文献に掲載されたすべてのポスターを収集してまとめたものを土台にした」とし、テキストとは違って検索ができないイメージ資料の特性上、「新聞を1面ずつ、雑誌1ページずつをすべてめくって見る」手法で10年以上の基礎作業を進め、その結果、多くのポスターを新たに発掘して著書に掲載したと明らかにした。

「紀元二千六百年 始政三十周年記念 朝鮮大博覧会」のポスター。白いチョゴリと黒いチマを着た女性が日の丸を振っている=西海文集提供//ハンギョレ新聞社

 衛生と健康、時間の観念、節約と貯蓄、左側通行、親切と明朗のような生活習慣改善のポスターの話から著書は始める。衛生と健康は「帝国主義者が植民地政策を大衆に伝播する主な装置だった」。1924年に京畿道警察部が配布したポスターでは、まげを結った「野蛮な朝鮮人」がむさぼるようにカニを食べている姿を描き、「風土病予防」という表紙を付けた。風土病は肺ジストマを指すが、朝鮮人がザリガニやカニを生で食べてこれを発病する事例が多かった。三井合名会社が1925年に配布した山火事予防ポスターでも、笠子帽をかぶった人たちがキセルを吸ったり巻きタバコにマッチで火を付ける様子と、山に火事が起きた絵を上下に配置し、その間に「大変なことになった」という文面を添えて「さりげなく朝鮮の野蛮さを強調」した。このように啓蒙と「文明化」を前面に出したポスターにも「植民地人に劣等感を植えつけ自ら従順になるようにする」イデオロギー的な目的があるというのが著者の指摘だ。

1927年4月に鎮海で開かれた慶尚南道連合共進会のポスター。戦闘機と軍艦を背景に海軍の軍艦旗である旭日期と桜の花を間に置いて朝鮮女性と日本女性が親しく「内鮮融和」を成している様子を描いている=西海文集提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮日報1929年5月12日付には、同紙の副社長だった安在鴻(アン・ジェホン)が主導した「生活改新運動」のポスターが掲載された。「朝鮮人よ、新しく生きよう!」というフレーズとともに5つの目標が提示され、白い服の代わりに黒い服を着て長い髪を切ろうという「色衣断髪」を前面に出した。1934年に朝鮮総督府逓信局が配布したポスターには、「自力更正は貯蓄で」というフレーズのもと、農夫が力を合わせて畑を耕す様子が描かれていた。このポスターは、日帝が1932年に始めた農村振興運動をテーマとしているが、この運動は「搾取メカニズムを徹底的に隠し、一生懸命働いて節約すればよい暮らしができるというイデオロギー洗脳政策だった」。一方、国民総力朝鮮連盟が1942年7月頃から企画した親切・明朗運動の中心は「国家の要求を喜んで受け入れること」だった。

「国語」(日本語)生活化を強調する国民総力朝鮮連盟のポスター=大韓民国歴史博物館所蔵/西海文集提供//ハンギョレ新聞社

 東亜日報と朝鮮日報は1920年代末から1930年代中頃まで、文盲撲滅廃運動と農村啓蒙運動に力を入れた。新聞の読者を増やすと同時に、民衆の意識を覚醒させようとするものだった。朝鮮日報1928年新年号に掲載された文盲撲滅ポスターは、カップ(KAPF:朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の会員だった安碩柱(アン・ソクチュ)が描いたが、文盲撲滅の旗を手に持った青年がもう片方の手では拳を固く握って大衆を扇動する様子が「典型的な社会主義リアリズム様式を示している」。かと思えば、東亜日報が主導した農村啓蒙運動「ブナロード」のポスターは、いずれも啓蒙の主体である学生は体格が大きくて高いところにいる反面、啓蒙の対象である農民は背が低く低いところに位置しており、「農民は啓蒙されなければならない受動的な存在」として表現している。

 1915年に半官半民の支援団体である京城協賛会が作った朝鮮物産共進会のポスターは、春鶯舞を踊る妓生を前面に出し、紅葉に囲まれた景福宮の勤政殿と慶会楼を上側に、日本の皇室の象徴である菊と近代的な共進会の建物を下側に配置したが、景福宮が暗くもの寂しく見えるのとは対照的に、共進会の会場は明るく活気に満ちているように描かれた。1918年の第2回慶尚北道物産共進会のポスターでも、仏国寺の多宝塔は活気がなく暗い空間で、共進会の会場は活気があり明るい空間となっている。1940年に開かれた朝鮮大博覧会のポスターは、白いチョゴリと黒いチマ姿の女性が日の丸の旗を振る姿を通じて、日帝に対する朝鮮人の服従と忠誠を表現した。

陸軍少年兵募集ポスター。少年兵募集ポスターは、戦闘場面を描写したものがほとんどないという特徴がある=釜山広域市立博物館所蔵/西海文集提供//ハンギョレ新聞社

 日中戦争に続き太平洋戦争まで引き起こした日帝は、「国民の体格を向上させ、国防戦力を強化」するという名分のもとで様々な政策を打ちだし、それに合わせたポスターを配布した。毎日新報1942年2月13日付に掲載されたポスターは「あなたはどれくらい国に奉仕できる体をお持ちですか!」というフレーズを中心に、体力測定への参加を促す内容だ。1943年9月19日付の毎日新報に掲載されたポスターは「全員登録、決戦体制での青壮年国民登録」という表題を付けた。戦況が連合軍側に傾くと、日帝は「決戦体制」という言葉をさらに頻繁に使うようになった。

日本が「支那事変」と呼んだ日中戦争1周年を記念し1938年に日本の陸軍省が作成したポスター=西海文集提供//ハンギョレ新聞社

 総督府の機関紙である京城日報1943年2月18日付に掲載されたポスターでは、青年団服を着た青年があたかも徴兵を切実に望むかのような姿だ。親日画家の金仁承(キム・インスン)が描いた大型の陸軍志願兵のポスターをはじめ、海軍志願兵の募集ポスター、朝鮮人学徒志願兵、陸軍少年飛行兵のポスターが乱発されるなか、志願兵になって最初に戦死した李仁錫(イ・インソク)や李亨洙(イ・ヒョンス)らの名前を連ね、「聖戦殉国の模範を示した人」と書かれたポスター、「私たちが待っていた道、光明と共に開こう」という文とともに銃剣を構えて殺気を放ってにらむ兵士の姿が描かれたポスターが、特に見る人に苦痛を与える。映画のポスターのようにみえる「こうした種類のポスターは、戦争をより身近に感じさせ、幻想と欲望の習性を悪用して戦争を美化する」。働く女性の周りを「あなたの後は私が一手に引き受けます」という言葉で囲み、女性の労働力の動員の下心をあらわにしたポスターが京城日報に掲載された日は、1945年6月15日だった。敗北直前まで日帝は、戦争と植民地支配の永続化の野心を止めなかった。

チェ・ジェボン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1120500.html韓国語原文入力:2023-12-15 10:09
訳M.S

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