バングラデシュの友人が一人いる。突拍子もないことが得意な変わり者だったが、最近は大学で学生たちを教えており、わざとまじめなふりをしているとか。いつも愉快に笑わせてくれた友人だが、その研究は重かった。故郷の人々の飲み水についての研究だった。バングラデシュでは、川の水が汚染されて飲めなくなったので、井戸を掘って飲みはじめた。ところが、人々は体調を崩し死んでいった。友人は、この事件を「人類最大の毒殺事件」として科学ジャーナル「ネイチャー」に報告した。ヒ素が地下水に自然に溶け込んでいたのだ。昔の記録によれば、ヒ素は支配階級が互いを殺害するために使った物質だ。「王の毒」と呼ばれた。
知らなかったために、あるいは知っていながら欲のために似たような悲劇が繰り返される。『ラジウム・ガールズ』は蛍光がきらめく表紙に惹かれて本を開いたが、読んだら深い悲しみへと転がり落ちていく。出勤の準備をするグレース。1杯のコーヒーで簡単に済ませる朝の時間、ラジオの広告では「毎朝『ラジター』1杯、ラジウム豊かな飲み物で、健康と活力を取り戻してください!」と流れる。出勤途中、前の席の乗客が見ている新聞にはラジウムと硫化亜鉛で作られたペンキ「アンダーク」の広告が載っており、会社前の擁壁にはラジウムを含んだ糸で編んだニットの広告がかかっている。グレースは初出勤したエドナに仕事のやり方を教える。「唇」で筆先をまとめてペンキをほんの少し「つけて」数字板に「塗れば」よい。工場で使うペンキはアンダーク。暗い場所でも腕時計の数字が明るく光る。1日に250個塗ればよい。
人々はグレースと職場の同僚たちを「ゴースト・ガールズ」と呼んだ。原子番号88番、ラジウムは放射線を放って崩壊する。ラジウムの放射線はウランの300万倍、強い光を放つ。アンダークで作業すると、ラジウムがあちこちにつく。暗いところでも手や服から光が放たれるから、幽霊と呼ばれるだけのことはある。パーティーでは不思議な遊び道具にもなったが、映画館では鑑賞の邪魔になるからと追い出されたりもした。ラジウムの放射線は光を放つだけではない。口から飲み込んだラジウムは少しずつ骨にたまる。そして赤血球を破壊して急性貧血を引き起こす。歯が抜けて足や関節が痛みだす。遂には遺伝子を破壊してがんを誘発する。陽気な少女たちは1人、また1人と死んでいった。1920年代、米国のニュージャージー州で起きた事件だ。
被害者たちは当初、梅毒で死んだという汚名を着せられた。だが勇敢に闘いを開始し、それが労働法の改正につながった。その時から、労働災害が発生した時は労働者が会社を相手取って訴訟を起こす権利が法的に保障された。しかし100年前の話は、いまだに繰り返されている。1990年代半ばに使用されはじめ、2011年になってようやく有害性が立証された加湿器殺菌剤も、韓国に途方もない数の被害者がいるが、いまだに補償についての合意さえなされていない。
ラジウムは、キュリー夫妻が4年間努力して10トンの瀝青ウランからようやく0.1グラムを得るほど希少な物質。加湿器殺菌剤に含まれるポリヘキサメチレングアニジンリン酸塩は新しい物質。希少なものを濃縮したり、新たに作ったりしたものは「長い時間」の試験をくぐり抜けるべきだ。不思議で便利そうに見えるからと言ってそばに容易く近づけると、死の影がちらつくだろうから。