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英国の犬とインドの犬、どっちが幸せか

登録:2022-06-23 05:50 修正:2022-06-26 07:34
[ハンギョレ21] 
英国、飼い主のいる犬といない犬に分類 
インド、ペットと野良犬に分類
ロシアのモスクワの地下鉄に乗った野良犬。一日の日程によって一定の区間に乗る犬たちの行動に人々は驚く=ウィキメディアコモンズ提供//ハンギョレ新聞社

 ロシアのモスクワには地下鉄に乗る犬たちがいる。定期を持った乗客のように、一定の時間に一定の区間を行き来する。この犬たちは、誰かが所有するペットではない。都市で独立して生活する野良犬だ。モスクワに住む野良犬3万匹のうち約20匹がこのように地下鉄に乗って移動する。

 地下鉄に乗る犬たちの噂が広まり、マスコミと大衆の注目が集まった。一日中地下鉄駅で時間を過ごす犬や、短い区間に乗る犬、終日地下鉄に乗って人々に可愛がられる犬、このように3種類の犬がいるという分析もあった。2018年、あるツイッター利用者は写真と共にこのような書き込みを残した。「モスクワの一部の野良犬たちは膨大で複雑な地下鉄システムの活用法を知っている。朝、犬たちは市内に入って食べ物を物色し、夕方には地下鉄に乗って帰ってくる」。駅ごとに異なる特有の臭いと音で区分するという動物行動学者の意見がインターネットで取りざたされるなど、モスクワの地下鉄の犬たちは今でも関心の対象だ。

人間の所有物になる

 筆者はモスクワの地下鉄の犬の知能よりも、なぜ韓国には地下鉄に乗る犬がいないのかが気になった。私たちは、懸命に人の後を追いかけ、つぶらな瞳でじっと人を見つめる「四足歩行の動物」が犬のすべてだと思いがちだ。ところが、人間社会の周りに自力で生活を営む犬がいるなんて!しかも自分の生活の場で独立した社会を成し、それなりにスケジュールを持って人と交流しながら暮らしている犬だ!

 東南アジアを旅行した人なら、熱いセメントの床に横になって昼寝をしていた犬たちを想像するかもしれない。実際、野良犬は世界各地にいる。昨年7月、動物専門メディア「アニマル・ピープル」のイ・スルギ通信員が伝えたタイ・チェンマイの野良犬の話はさらに興味深い。この犬たちは1日の日程がぎっしり詰まっている。日が昇るとお布施する托鉢僧について回り、昼間はバスターミナルの待合室で昼寝をし、日が暮れる頃には寺院に行って観光客と商人たちから食べ物をもらう。彼らは野生と文明の境目で自分の生活の場を開拓し、懸命に生きているのだ。

 実は犬の歴史を振り返ってみると、このような「自由な犬」の姿の方が一般的だった。ペットショップで飼い主を待つ犬や首輪をつけて飼い主と散歩する犬より、このような自由な犬の数が今でもはるかに多い。オーストラリアのディンゴ、パプアニューギニアの高山犬などの野犬をはじめ、インドのパリア犬、世界全域に住む野良犬がまさにそうだ。事実、排他的な所有関係に縛られた犬たちと彼らが人間と共に享受する文化は、西欧と先進国と称する国の一部に限られた現象だ。ペットは犬の主流ではない.

 現在、犬は300~400種類に分類されるが、半分以上が18世紀以降の交換価値を高めるために人為的な交配で誕生した商品だ。商品化は所有概念をさらに強化する。ペットは人間に所有され、所有されていない犬、つまり野良犬は異邦の存在となった。しかし、犬という種の歴史で、最も多く、自然な方法で遺伝子を受け継ぐのが、まさに野良犬だ。

インドでは野良犬もむやみに屠殺してはならない

 動物地理学者のクリティカ・スリニバサンは興味深い分析を行った。インドで生まれ英国で修学したスリニバサンは2013年の論文で、両国の犬を比較した。英国は自他共に認める犬愛好国であり、動物福祉の先進国だ。世界的な動物福祉基準と法は英国から生まれたと言っても過言ではない。一方、汚い路地、牛と犬が歩き回るインドは第3世界に近い。一見、英国の犬の方が幸せそうだが、果たしてそうだろうか。

 まず両国の法と制度を分析した。英国はかつて1906年に犬法(Dogs Act)を制定し、警察が野良犬を捕獲できるようにした。犬は保護所で1週間が経っても飼い主が現れなければ、殺処分できる。1990年の環境保護法などでもこの流れは受け継がれた。英国の法律によると、英国に住む犬には2種類ある。飼い主のいる犬といない犬。英国で飼い主のいる犬は公園の犬プールで泳いで遊ぶほど高い福祉を享受しているが、飼い主を失うか、飼い主に捨てられた場合、一瞬にして生死の岐路に立たされる。

 インドは少し異なる様相を見せている。1960年に動物虐待防止法があったが、街の野良犬は苦情が入ったり問題があったりした場合、地方政府が電気や毒物で殺処分するのが一般的だった。しかし、2001年に動物繁殖制限法(Animal Birth Control)が施行されたことで、状況が変わった。同法は犬を「ペット」と「野良犬」の2種類に分け、野良犬でもむやみに屠殺することを禁止した。これは野良犬にも独自の領域を認め、生を営む法的市民権を与えたということだ。

 前述のタイのチェンマイはさらに一歩踏み込んでいる。チェンマイ市は野良犬政策を「害獣駆除」から「個体管理」に変えた。野良犬に餌を与え、世話をするよう市民に勧めている。政府が野良犬に狂犬病予防接種を行い、中性化手術(動物の生殖機能をなくす手術)を行う。チェンマイでは野良犬を「コミュニティ犬」と呼ぶ。

ギリシャ・アテネのパルテノン神殿で、犬が昼寝をしている=ナム・ジョンヨン記者//ハンギョレ新聞社

塀の上を歩く「先進国の犬たち」

 インドの犬が英国の犬より生活の質が高いと一概には言えない。インドで野良犬たちはゴミを漁らなければならず、情に厚い人間を探し回る卑屈な生活をしなければならない。狂犬病にかかり、飢え死にすることもある。動物繁殖制限法の制定後も、依然として野良犬を殺処分しようとする自治体があり、最高裁まで行った事例がある。しかし、インドの野良犬たちは、英国のペットより悲惨な人生を送っているかもしれないが、一瞬にして死と苦痛へと滑り落ちる塀の上を歩いているわけではない。道に迷ったり捨てられたりした場合、それが直ちに犬生の幕切れを意味するわけではないのだ。

 ところで、考えてみよう。大きな進歩を成し遂げたように見えるかもしれないが、これは少し前、私たちの周りでもよく見かけた現象ではないか。私たちはわずか100年で西欧中心の動物観念に染まってしまった。実はインドの犬、タイの犬は私たちの周りで独立して暮らしていた「村の犬」たちだ。しかし、韓国で村の犬たちは姿を消した。人間の手が届かない犬は「捨て犬」として、動物保護所に閉じ込められ、大半は安楽死される。インドの犬と英国の犬を考察することは、私たちに異なる想像力を要求するという点で示唆的だ。

ロンドン(英国)/ナム・ジョンヨン「アニマル・ピープル」記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/47609.html韓国語原文入力:2019-09-1913:02
訳H.J

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