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1500年前の防虫剤?百済古墳内の石板で蓋をした土器の正体は?

登録:2022-02-23 20:47 修正:2022-02-24 08:28
扶余の百済王陵園4号墳「西上塚」から出土 
邪気を払う供え物と推定…防虫剤の可能性も
扶余王陵園4号墳の入口から出土した石板で蓋をした土器の壷=国立扶余文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 百済人が墓に入れた防虫剤だろうか?邪気を払うために供えられた地鎭具だろうか?

 忠清南道扶余(プヨ)に遺された百済時代の王陵級墳墓内から、石の破片を蓋のようにかぶせた土器の壷2点が出土した。これまで百済墓から出た土器類と、姿はもちろん出土した位置も異なる正体不明の遺物であり、その用途をめぐり学界で意見が分かれている。

 国立扶余文化財研究所は、泗ビ(ビはさんずいに比、現在の扶余)に首都を移した百済後期(538~660)の王陵級墓が集まっている扶余王陵園(旧陵山里古墳群)の横穴式石室墳である4号墳「西上塚」を発掘調査した結果、墓の入口から遺体を置いた墓室に達する通路(墓道)の床の両側から石板の小片で蓋をしてまっすぐ立てられた土器2点を発掘したと23日発表した。

 二つの土器は、高さが49センチ前後で姿が似ており、中には土が詰まっていた。百済人が作り、内容物を入れた後に蓋の役割をする石板を載せて埋めたと推定される。研究所側は「土器を埋めた時点が墓を積む前なのか、棺が入る時なのかは把握できない。内部に詰まった土を分析し、どんな有機物が入っていたのかを糾明したい」と明らかにした。

 王陵級墓の進入通路の床に、蓋をした土器を埋めた事例は、韓国ではもちろん中国でも前例を探すのが困難で、百済葬儀文化の新しい姿を示す遺物とみることができるとの説明だ。研究所側は、ひとまず建物を作る時に邪気を防ぐための供え物である「鎮壇具」である可能性があると推定した。だが学界の一部には、墓の中の遺体が虫や微生物により汚染・毀損されることを防ぐ防虫剤や除湿剤の役割をしたという見解もある。出土した土器を実見した忠南大考古学科のパク・スンバル教授は「古代中国墓の遺跡で棺の周りに、炒った穀物や酸っぱい臭いの魚を漬けた酢液などを入れた壷を置いて虫が集まることを防いだ痕跡が報告された事例がある」として「葬儀用の祭器や供え物というより、遺体の保存のための実用的用途の器物だった可能性がある」と指摘した。

 西上塚は、日帝強制占領期(日本による植民地期)に調査されたが図面が残っておらず、正確な規模と構造が把握できない状態であった。今回の調査を通じて、典型的な泗ビ首都期の横穴式石室墳の具体的な構造が明らかになったとの評価だ。研究所側は、来月から王陵園泗ビ3号墳「西下塚」を調査する予定だ。王陵園には、日帝強制占領期に確認された古墳6基と、約50年前に補修過程で確認された古墳1基が集まっているが、墓の主はまだ明らかになっていない。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1032317.html韓国語原文入力:2022-02-23 18:49
訳J.S

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