「金入宅」は、歴史書『三国遺事』で、新羅の首都である慶州(キョンジュ)の寺と家の風景を描写する部分に登場する言葉だ。金が入った家という意味の“クムドゥリデク”を意味するが、今風に言えば格子回廊で区切られた複数の高級建物群が庭園池と一体になった当代慶州の豪華邸宅・大寺院の建築造園様式を称する。
「金入宅」の歴史的実体に関連すると見られる大きな池の場所が、慶州狼山(ナンサン)麓の王室寺院である皇福寺(ファンボクサ)跡遺跡で発見された。2017年から皇福寺跡遺跡の学術発掘調査を進めてきた聖林文化財研究院は最近、寺の跡地の東側付近で30坪を超える規模の新羅時代の人工池と護岸石垣の細部を確認した。また、池の底から“寺”など数十字が書かれた木幹1点と目盛りが刻まれた尺(新羅尺)などの遺物も発見した。
新羅人が作った慶州人工池は、金入宅に関連する庭園池である園池に分類される。最も有名な雁鴨池(アナプチ)園池をはじめ、黄龍寺(ファンニョンサ)跡に3カ所、芬皇寺(プンファンサ)跡の園池、龍江洞(ヨンガンドン)の大型池である園池、路西洞(ノソドン)の小型池など7~8カ所の遺跡が知られている。今回発掘された池は、新羅の寺院と高級邸宅の内部造園の構成を示す端緒になると期待される。特に池の底から出た木幹は、幅3センチ、長さ20センチの単独文書形式で、上から下まで1行で字が書かれ、下の部分で2行に分かれた独特の文章構成が特徴だ。皇福寺が造成された7~8世紀のものと推定されるが、明確になっていない寺の創建・運営に関連する内容が含まれるかも注目される。