“釈迦のからだ”から出た舎利を収めた金製の壷が、暗い入口の先にちらちらと見える。近付くと、美しく輝く姿を現す。10センチにも満たない金色の本体には、広大な美の世界が広がっている。蔓と蓮の花弁の模様が躍動し、模様の間には丸い模様がぎっしりと敷きつめられている。
10日午前、4年に及ぶ工事の末に開館した国立益山(イクサン)博物館の常設展示館を訪ねた。入り口を飾る代表遺物は、百済武王が建てた弥勒寺(ミルクサ)址西塔から出た舎利壮厳具の舎利内壺(舎利を収めた内側の小さな壺)だった。自身の本体を包んでいた舎利外壺(舎利を収めた外側の壺)と共に、韓国美術史上で最高の造形芸術品に選ばれる国宝だ。この名品は、独特の壁体で囲まれた姿で観客をむかえた。古代石塔の塔石端の屋蓋石(屋根石)が階段状に整然と重なった姿を再現した壁体だった。企画陣は、この壁体のまん中に実際に舎利壮厳具が入っていた石塔の心礎石の穴の形の厨子を彫り、舎利内壺を置き照明を当てた。舎利内壺の後に続く1~3室の展示は「もう一つの百済」益山歴史文化圏の別世界をじっくり見せた。
百済最後の王宮と推定される王宮里(ワングンニ)遺跡のかつての塀と王宮址復元模型で始まる1室は、王宮址から出た便所跡、工房跡などの遺物と近隣の帝釋寺跡から出土した塑造像、百済武王と王妃の墓として有力な雙陵出土遺物で構成されている。視線を捉えたのは、1917年の発掘以来102年ぶりに完全な姿で初めて復元・公開された雙陵大王陵から出土した木棺だ。日本で主に育つ高級樹種の錦松で作られ、連結部を繋ぐ釘や棺の部材を仕上げる技が当代最高水準ということは肉眼でも分かる。この木棺が出てきた墓から出土した骨を、2年前に国立文化財研究所が鑑識した結果、武王という事実上の結論を下したことがある。涅槃した釈迦を見ながら悲しみを吐露する帝釋寺跡から出土した僧侶像も初めて公開され、強烈な印象を伝えた。
常設展示室の中心である2室の弥勒寺址遺物室の主人公は、西塔から出た舎利壮厳具だ。私利内壺に劣らず優れた舎利外壺と、高さが3センチ余りで3分の2がつぶれた舎利を入れた瑠璃瓶を完全に復元し展示した。舎利壮厳具の供養品を包んだ織物と推定される百済時代の精巧な刺繍絹布、金糸なども保存処理を終え初めて陳列された。
益山歴史文化圏の全般を扱った3室も見どころがいっぱいだった。青銅器時代の群山(クンサン)船提里(ソンジェリ)の竹片形青銅具も初めての展示で、百済金銅冠と靴が出土して有名になった笠店里(イプチョムリ)古墳の遺物も共に鑑賞できる。国内最古の扶余(プヨ)王興寺の舎利器と慶州(キョンジュ)感恩寺舎利器、漆谷(チルゴク)の松林寺舎利器など、国内仏教舎利壮厳具の代表作を一堂に集めた特別展も見逃せない。
弥勒寺址の真下を敷地とした博物館は、地下2階、地上1階で半地下式の深さを持つ遺跡密着型施設だ。以前の展示館より3倍に拡張し、約3万点の遺物を収蔵・展示し益山歴史文化圏を知らせることになる。
この日初めて披露された常設館展示は、「もう一つの百済文化」「百済の懐かしい未来」という観点を、先端映像と立体的陳列形式で表現した。チェ・ギョンファン学芸員は「遺物の本来の意味や使い途を展示空間にどのように表すかに苦労した。日本や西欧の新しい展示モデルなども自ら行って調べ、完結性のある展示にすることに努めた」と話した。