「百済の微笑」が故国でなく中国に飛んで行った。
7世紀始め、百済の職人が作った三国時代の最高傑作仏像で、最近日本で約90年ぶりに所在が確認された百済金銅観音菩薩立像が、中国の上海に再び搬出された事実が明らかになった。1907年に忠清南道扶余(プヨ)で出土したと伝えられるこの仏像は、1920年代に日本の収蔵家が搬出した後、行方不明だったが、2017年末に日本の企業家が所持しえちるという事実を韓国の美術史学者が明らかにした。しかし、昨年韓国文化財庁と所蔵者の還収交渉が大きな金額差で決裂し、国際競売出品が有力視されてきたが、今度は韓国でなく中国で初公開されるうえに、その後も韓国を排除して中国と日本での巡回展示まで推進しているため、韓国国内の文化財学界で論議が予想される。
最近ハンギョレが韓・中・日の文化財学界関係者たちを取材した結果、百済仏像は年初に日本の所蔵者と中国の上海博物館の間で常設展出品のための合意がなされ、先月初めに上海博物館の収蔵庫にすでに入庫されたことが確認された。上海博物館は今月中に遺物に対する研究報告書を発刊し、来月初めから同館の古代彫刻常設館で隋・唐古代中国仏像の影響を受けた代表的傑作の一つとして仏像を披露する予定であることがわかった。1996年に完工した上海博物館は、中国の主要国家博物館のひとつで、古代夏・殷・周時代の青銅器遺物と陶磁器、隋・唐代の金銅仏像コレクションの宝庫として有名だ。
上海博物館と文化財界側によれば、仏像の中国貸与は昨年10月に還収交渉が決裂した後、中国仏教美術史学界の中堅研究者で国家博物館特任研究官のチ・チュンジェン氏が東京で実物調査をした後、日本の所蔵者と接触し展示を説得して実現したという。これと関連して、ハンギョレが種々の経路で把握した結果、上海博物館は先月11日に遺物を入庫し、傘下の文物保護科学技術センターで研究分析作業を始めていることが明らかになった。ハンギョレが別に入手した展示関連資料によれば、百済仏像は来月初めに常設展で「朝鮮7世紀三国時代仏像」という名札を付けて中国隋・唐代の仏像美術の影響を受けた作品という説明と共に展示されると見られる。現地の事情に明るい国内文化財界のある関係者は「チ・チュンジェン氏が、中国仏教美術史で隋・唐仏像が東アジア圏の仏像に及ぼした多大な影響関係を示す重要な遺物であり、中国に持って来て精密分析し、共同研究報告書を出した後に常設展示館に展示しようと所蔵者側に提案した」として「所蔵者が直接遺物を持って上海まで行き引き継ぎしたと理解する」と伝えた。
中国当局は、上海博物館での展示の他にも、来年3月から2年間かけて中国と日本で中国政府の一帯一路政策の歴史的脈絡を指摘する特別巡回展「永遠のシルクロード-仏教芸術の起源」展にも百済仏像を出品することで所蔵者側と合意した状態だ。日中交流センターのタン・チサン社長が企画したこの展示は、来年3月から河南省博物館を皮切りに1年間中国の省級博物館を巡回展示し、残りの1年は日本で巡回展示を行う予定だ。上海博物館の常設展と「シルクロード」特別展は、百済仏像を初めて一般大衆に公開する展示イベントになると見られる。しかし、遺物が出土した当事国である韓国の国公立展示機関は完全に排除され、展示以後には中国の博物館や民間財団側が巨額を投じて買い取る可能性も現地学界では提起されていて、韓国国内の文化財学界に大きな波紋を起こすものと見られる。