江原道鉄原(チョルウォン)に労働党舎がある。光復の翌年の1946年、ここが北朝鮮の地だったときに鉄原郡朝鮮労働党が作ったロシア式のコンクリートの建物だ。朝鮮戦争当時、銃弾と砲弾が残した傷があちこちにたくさんある。戦争前には共産治下で反共活動をしていた人びとが捕まり、拷問と虐殺を受けたところだった。ソテジワアイドゥルは1994年、「渤海を夢見て」のミュージックビデオをここで撮り、平和統一を夢見る歌を歌った。
7日夕方、労働党舎の前で軍歌が鳴り響いた。軍人が常駐する国境地域で軍歌が聞こえるのは日常だが、この日の軍歌は違った。軍楽隊に代わって演奏した10人組のビッグバンドはジャズ風であり、軍人に代わって歌ったペク・ヒョンジン、キム・サウォル、キム・ヘウォン、キム・ジウォンなどインディーズのミュージシャンたちは自由奔放だった。アンビギュアスダンスカンパニーのダンサーたちは、軍歌に合わせてやや滑稽な踊りを披露した。この日から3日間、鉄原一帯で開かれた「DMZピーストレイン・ミュージック・フェスティバル」の開幕を知らせる特別公演「友情の舞台」だ。
フォークシンガーソングライターのキム・ヘウォンが「我々は韓国独立軍/祖国を探す勇士なり」と『鴨緑江行進曲』でオープニングを飾った。続いて「戦友の死体を越え前へ、前へ」で始まる『戦友よ、安らかに眠れ』を歌った。歌の2番にさしかかると、キム・サウォルが登場した。「月光漂う峠で最後に分けて吸った/ファラン煙草の煙のなかに消えた戦友よ」。ふわふわした夢幻的な女性の声で歌う軍歌は切なかった。軍楽隊の力強い行進曲の演奏に愛用される楽器のトロンボーンが、もの悲しいソロ演奏を鳴き声のように響かせた。
キム・サウォルは、この公演を準備しながら軍歌の暴力的な歌詞に驚いたという。どうても感情移入して歌うことができないと思った彼女は、辞退することまで真剣に悩んだ。舞台演出を担当したチャン・ヨンギュ音楽監督が「軍歌がいかに盲目的で不条理なのかを逆説的に明らかにすることで、軍歌に込められた暴力性を解体するのがこの公演の目的」だと説得すると、ようやく納得して練習を続けたという。
チャン・ヨンギュとデュオ「オオブ・プロジェクト」を共にするペク・ヒョンジンが登場した。ゆらゆらした身振りで「祖国のあるところに我らがおり/我らのあるところに忠誠がある」(『祖国がある』)と歌った。彼の着ていたTシャツには「国家」という文字の上にバツ印がついていた。歌詞と相反するメッセージが意表を突いた。彼はそのようにして全体主義と画一主義を皮肉った。ある観客はこの歌に合わせて小さく踊った。
キム・サウォルが「戦線を行く」を歌う頃、小さなドローンが浮き上がり公演会場一帯を撮影した。あるドローンは美しい光景を取り込み、あるドローンは戦線で爆弾を落とす。戦闘機の代わりに無人航空機のドローンが偵察して爆撃する時代に、ペク・ヒョンジンが戦闘機操縦士の歌「赤いマフラー」を歌い始めた。「お嬢さん、僕の気持ちを信じるな/稲妻のように過ぎる青春なんだ」という歌詞が、特に意味深い虚しさで迫ってきた。
バンド「ビリー・カーター」のキム・ジウォンが「君と僕でなければ誰が守る」で始まる『君と僕』を歌った。「君と僕でなければ誰がつなごうか/南北で切れた民族の血」という部分が新しく聞こえた。軍人が歌う時は武力統一を意味したが、全国民が歌えば平和統一の意味に変わるかも知れないという気がした。
最後に皆で一緒に歌った歌は「昨日の勇士らがまた結集した」で始まる『予備軍歌』だった。除隊して民間人になっても「銃を持って建設し」、「出てこい赤い群れの侵略者たちよ」と歌わなければならない私たちは、いまだに巨大な兵営の中で暮らしているのかもしれない。インターネットで今も『左翼アカ』などのコメントが溢れているのもやはり、無関係ではないはずだ。苦い余韻を残したエンディングだった。
チャン・ヨンギュ監督は「鉄原の近現代史でいちばん多く歌われた軍歌を歌うものの、その歌の中に埋もれず、軍歌の持つ歌詞を見つめながら新しいサウンドでその歌詞をひねってしまおうというのが、このプロジェクトの目的」だとし、「今後、このような脱イデオロギー的プロジェクトを通じていつかは鉄原の地域性が季節と風景だけでも存在できるようになってほしい」と話した。