「トンネルを通る際、宇宙を見たようだった」
26日日曜日午後、ソウル市瑞草区(ソチョグ)の芸術の殿堂ハンガラム美術館で開かれている「銀河鉄道999展」を記念して韓国を訪れた松本零士氏(79)が「銀河鉄道999」が作られた瞬間を語った。
松本零士氏は高校を卒業した18歳に漫画家を目指して上京した。お金が足りず、片道の切符を買った。「その列車がまさに銀河鉄道999だった」。九州と本州をつなぐ海底トンネルの関門トンネルで、彼は「宇宙を横断する列車を想像した」。子供の頃から夢の空間だった宇宙を作品として実現したのだ。1977年から少年漫画雑誌に「銀河鉄道999」を連載し、その名を轟かせた彼は、機械工学の研究者になりたかったが、家の経済事情で勉強を続けることができなかった。機械工学の学者の夢は「将」(すすむ)という名の弟が叶えた。漫画家は「宇宙戦艦ヤマト」の主人公を進(すすむ)と名付けた。
「銀河鉄道999」は1978年、アニメで制作された。韓国では「日本大衆文化開放措置」(1998年)前だった1981年、MBC(文化放送)で「特選漫画」として韓国人に初めて披露された。爆発的な反応に支えられ、まもなく正規の番組として編成された。「銀河鉄道999」の世界観は作家の後続作の「宇宙海賊キャプテンハーロック」や「新竹取物語 1000年女王」でも共通して展開された。
「銀河鉄道999」は「永遠の命」を得るための鉄郎(韓国語版では“チョリ”)の旅行が見せてくれるディストピア的な世界観、謎めいたメーテルの存在などで多くの解釈を生み出した。松本市は「メーテルの話でもあり、鉄郎の話でもある」としたうえで「メーテルのはラテン語で“母”の意味を持っている」と話した。メーテルが着た服については「旅行中、たくさんの生命が殺されるが、哀悼の意味を込めて最初から喪服を着ているものとして設定した」と話した。
松本氏は「銀河鉄道999」を「青春への賛歌」だと定義した。「メーテルは青春を象徴する人物で、鉄郎が見る幻だからだ」。彼はもし永遠の命を得られるなら、機械の体になる意向があるのかという質問に、きっぱりと答えた。「永遠の命が得られるなら、いい加減に生きていくだろう。生きているというのは限られた時間を生きることだ。時間は夢を裏切らない。夢が時間を裏切ってはならない」。「宇宙戦艦ヤマト」をめぐる軍国主義的解釈については、「当時、日本で最も大きな船が大和だったが、その船が空を飛ぶことができたらと想像して付けた名前」だとし、「どんな国の人でも乗れる宇宙戦艦を想像」していると答えた。
今回の展示会は韓国で展覧会を開きたいという原作者の希望で実現された。松本氏は幼い頃に暮らした故郷に韓国人が多かったとしながら、韓国人の友達について、おもしろいエピソードも紹介してくれた。「韓国人の友達の家に招かれて夕食をご馳走になった。そこで辛いニンニクとコチュジャンを食べて辛さのあまり涙を流したが、翌日友達からお母さんが感動して泣いたと思い込んでありがとうと言っていたと言われた」
「銀河鉄道999」2番目のバージョンのメーテルの役を務めた声優のソン・ドヨン氏も当時の思い出を語ってくれた。「90年代に初めてこの作品をダビングした当時、飛行機でもなく汽車が空を飛ぶ場面に新鮮な衝撃を受けた」というソン氏は、無料で展示場内のオーディオガイドも録音した。誕生40周年を迎えて行われる「銀河鉄道999展」は原作のストーリーボード、メーテルと鉄郎をテーマにした様々な原画と共に、初めて公開される直筆の原稿も展示する。5月1日まで。お問い合わせ02-338-3513。