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戦犯 ヒロヒトに免罪符を与えた‘米-日の抱擁’

原文入力:2009-08-14午後07:27:55
2次大戦後、日本統治した米軍政
矛盾的‘天皇制民主主義’制度化
勝者-敗者 共に戦争責任 覆った格好

イ・ジェフン記者

←ヒロヒト天皇の臣民たちは1945年8月15日ラジオ放送を通じて初めて彼の声を聞くことができた。放送でヒロヒトは日本の無条件降伏を宣言し臣民たちに“耐え難きを耐えよ”と説得した。 民音社提供

<敗北を抱きしめて>
ジョン ダワー著作・チェ・ウンソク訳/民音社・4万5000ウォン

1945年8月15日。‘植民地朝鮮’が日帝の統治から抜け出した光復節だ。日本にとっては連合国に‘無条件降伏’した敗戦日だ。<敗北を抱きしめて>の著者ジョン ダワーはこの日を日本の歴史で‘1868年明治政府樹立’に肩を並べる‘分岐点’と見る。だが著者はこの日を基準として‘軍国主義日本’と‘新しい民主主義日本’を分ける一般的見解に同意しない。

確かにダグラス・マッカーサー総司令官を頂点にした米軍政は敗戦国日本で‘軍国主義一掃と民主化’を公式任務として提示した。しかし、以後実際に進行された歴史の真実はそれとは違う。米軍政は効果的な統治のために日本の既存官僚制に寄り添った。現代日本資本主義の強力な指揮部の役割を果たした通商産業省ができたのが1952年、米軍政が終息する3年前。米軍政は現代日本に敗戦以前より更に一層強力な官僚制を残した。他方でマッカーサーは‘帝国日本の最高戦犯’ヒロヒト‘天皇’に免罪符をくれた。このように米国は敗戦以後の日本で‘官僚制民主主義’や‘天皇制民主主義’のようなつじつまの合わない自己矛盾を制度化させた。勝者の米国が敗者の‘被保護国’日本の現代史に垂らした長い影だ。

こういう戦後日本の特性については極端にぶつかる2つの観点が並立している。その1つは米国が日本に民主主義を安着させたというものだ。米国が作った日本だ。他の1つは戦争責任に知らぬフリで一貫する現代日本の姿を‘日本的特性’に求める観点だ。日本が作った日本だ。著者はこの2つの観点を全て拒否する。

著者はしばしば‘日本モデル’と呼ばれるものを、米国と日本の交配型モデル、すなわち官僚制的資本主義と見る。他の呼び方をすれば‘スケパニーズ モデル’(a SCAPanese Model)だ。連合国総司令部(SCAP)と日本人との合作モデルという意味だ。「現代日本社会の核心的な特徴中、多くの部分は勝者(米国)と敗者(日本)の複雑な相互作用に由来したもの」だ。

著者は日本の敗戦以後、米国と日本の出会いを「緊張感があり予測不可能であいまいであるのみならず紛らわしく折衝的な文化交流」と表現する。そして「私は日本人たちが敗戦を喫した時に感じた感情を‘(日本)の中から’伝達しようとする」として‘(敗者の)抱きしめ’(embrace)という概念を提起する。

←<敗北を抱きしめて>

著者はこの‘抱きしめ’の事例を生々しくも幅広く提示する。1948年名門東京大学の学生が窃盗罪で逮捕されるや吐きだした言葉が広く知れ渡った。「何が犯罪で何が犯罪ではないかは、現代社会で誰も規定できない。」東京戦犯裁判が終盤にかかった時期だ。著者は「米国は(ヒロヒト天皇に免罪符をくれることによって)‘戦争責任’と関連したすべての論題を笑い話にしてしまった」として、このように問い直す。「帝国日本が20年間にわたり対外政策と軍事政策を行って常に口にした名前の主人(ヒロヒト天皇)まで戦争の開始と展開過程に何の責任もないならば、普通の人々が戦争に責任を負うべき理由がどこにあるだろうか? その戦争に対して各自の責任を真剣に考えてみる必要がいったいどこにあるだろうか?」

このように‘天皇’は現代日本民主主義の首に吊るされたトゲのような存在だ。だから‘平和と民主主義’の問題は戦後日本人たちが休むことなく論争を行うようにさせる‘偉大な呪文’(mantra・呪文)なのだ。ここで著者は戦争犯罪に対する歴史的健忘症は日本での特殊な形態として現れたりしたが、‘公共の記憶’とか‘神話作り’というもう少し一般的な脈絡で見る時、その意味が十分に蘇るという指摘を忘れない。程度の差はあるにせよ日本だけの問題ではないという意味だ。著者は戦後日本の政治史と文化史をよく混ぜ合わせおいしそうなピビンパのように作った。841ページに達するこの膨大な著作を最後まで読ませてしまう力だ。

イ・ジェフン記者nomad@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/371279.html 訳J.S