大統領府政務首席室が「文化芸術人ブラックリスト」の作成と伝達を主導したと、文化体育観光部(文体部)の元当局者をはじめとする複数の前・現職の官僚たちが明らかにした。当時の政務首席秘書官は文体部のチョ・ユンソン現長官が務め、チョン・グァンジュ1次官は政務首席室傘下の国民疎通秘書官だった。文体部の現職長官・次官がブラックリスト作成の責任者だったことを意味するものであり、波紋が予想される。
ハンギョレは最近、複数の前・現職の文体部・文化芸術委員会関係者らと会い、文化芸術人ブラックリスト作成の過程を取材した。彼らは2014年夏から2015年1月まで大統領府政務首席室で、支援してはならない文化芸術界の人物や団体のリストを作成し、このリストを教育文化首席室を経て文体部と文芸委に送り、支援事業の選定に反映させるようにしたと明らかにした。当時、リスト作成を主導した人はチョ・ユンソン当時政務首席秘書官と同年10月に赴任したチョン・グァンジュ国民疎通秘書官だったと、同関係者らは証言した。
元文体部当局者は「(当時のブラックリスト作成および伝達の経緯に対する確認作業の結果)チョ・ユンソン首席秘書官とチョン・グァンジュ国民疎通秘書官が作成を主導した事実を確認した」とし、「キム・ギチュン当時大統領秘書室長との連携のもとリストの作成作業を行ったものと把握した」と明らかにした。別の元文体部関係者は「2014年夏に概略で作成した(ブラックリストの)何枚かが内部の連絡網を通じて文体部に伝わり、以降11~12月に数回メールで追加リストが来た」と話した。同関係者は「リストをくれた教育文化首席室は関連業務を処理する部処ではないため、大統領府行政官らに出所を問い合わせたところ、リストが政務首席室から来たという返答を聞いた」と付け加えた。
また、別の関係者は「夏に来たリストは内容がそれほど複雑ではなかったが、11月以降膨大になり、最終支援排除リストを作るのに少なからぬ壁にぶつかった」と話した。彼は「当時、セウォル号事件を扱ったドキュメンタリー映画『ダイビングベル』の釜山映画祭への招へいを不許可とする論議と、光州(クァンジュ)ビエンナーレで画家ホン・ソンダム氏の朴槿恵(パク・クネ)大統領風刺画展示不許可の波紋などで文化芸術界の時局イシューが争点化されている状況で、反政府的な芸術家たちに対していかなる形であれ統制しなければならないという意図が背景に作用した」と説明した。
大統領府が作成したブラックリストは、証拠になる配達記録が残る正式文書ではなく、紙に略式でリストを入力した形であり、メールやファックスで何度も文体部芸術局に伝達されたことが分かった。ある元関係者は「大統領府の書式ではなく、ワードに表を作ってびっしりとリストを入力してあったことを覚えている」と話した。
ブラックリストが文体部から芸術委に伝達、配布された具体的な経緯についても確認された。ハンギョレとの接触で、当時芸術委の業務を担当していたある関係者は「文体部芸術局事務官O氏がブラックリストを別途の文書でプリントした後、全羅南道羅州にある芸術委を訪ねて来た」とし、「O事務官は芸術委の2015年度芸術家支援事業で、該当文書にリストアップされた芸術家は外してほしいと直接要請し、作業を督励した」と明らかにした。同関係者は「O事務官が『私たちも気が進まないが、上層部が指示する仕事なのでやらなければならない』と言い、再審議を要求し、これまで完成した審議結果を振り出しに戻して再評価審議委員らを説得し、再審の作業をしなければならなかった」と話した。「通常遅くても毎年1月初めには審議結果を確定発表するが、ブラックリストにある審議対象から排除する芸術家のリストを反映するために3月末にようやく支援対象全体を確定することができた」という。この文書は2014年年末頃に芸術委に伝達されており、視覚芸術、公演芸術、文学の3領域にわたって20ページの分量で、500あまりの団体・個人名が書かれていたと同関係者は伝えた。
これに対しチョ・ユンソン長官とチョン・グァンジュ次官は全面的に否定した。チョ長官は報道官室を通じて「政務首席秘書官在職当時、政府組織法改編、公務員年金改革などの国政懸案に専念しており、ブラックリストは所管業務ではなかった」と述べ、チョン次官も「大統領府秘書官時代、文化芸術界の懸案については全く知らない」と答えた。文体部は先週からチェ・スンシル国政壟断事態と関連し、チョン次官をチーム長とする「問題事業再点検検証特別専従チーム」を構成し、内部関係者の洗い出し作業に入っている。これについてブラックリスト疑惑の当事者が「過去を消すことに乗り出したのではないか」という指摘もある。