原文入力:2012/09/09 23:10(2965字)
←キム・ギドク監督が8日夜(現地時間)イタリア、ヴェネツィア映画祭閉幕式で金獅子賞を受賞後、外国取材陣の撮影に応じている。 ヴェネツィア/AFPニューシス
キム・ギドクの人生と映画世界
キム・ギドク監督年譜および作品18編目録
キム・ギドク(52)監督は最近数年間、江原道(カンウォンド)、洪川(ホンチョン)近隣の山奥で木と土を使い自分であなぐらのような家を建てて暮らしてきた。 彼は 「太陽電池を設置して最小限の電気を使い、畑で自分が食べるだけの野菜を育てている」と言う。 トイレもない。 排泄物はそっくり自身の食べ物の肥料になる。
私たちの社会の主流システムが彼を追いやったが、‘非主流アウトサイダー’と呼ばれた彼は社会の片隅で自分で‘キム・ギドク’を育てた。 9日閉幕したイタリア、ヴェネツィア(ベニス)映画祭金獅子賞を受賞した<ピエタ>はソウル、清渓川(チョンゲチョン)の工場が背景だ。 そこは15才の時から‘機械飯’を食べて暮らしをしのいだ幼いキム・ギドクの根拠地だった。
‘別種監督’出現に映画界論争
暴力・猥褻 論難‘両極端’の評価
非主流の挑発、外国では賞を総なめ
1960年慶尚北道(キョンサンブクト)ポンハで生まれた彼は、公式学歴を小学校卒業で終えてしまう。 未認可農業学校に入ったりもした彼は清渓川、九老(クロ)工団でボタン工場・廃車場・電子工場に通って教科書の外の世の中を学んだ。 彼の胸に父親は暴力を行使した‘暴圧的家長’として残っていて、このような残像は彼の映画世界にも少なからぬ影響を及ぼしたが、彼は父もまた階級化された社会が作った「もう一人の被害者」と感じたりした。
防衛兵として入隊可能だったのに、彼は5年余りを服務する海兵隊下士官に志願した。 除隊後、2年間視覚障害人教会で雑用を手伝った彼は30歳でフランス、パリに美術留学に出た。 彼は突然のこの決断を「その時期が私の最後の足掻き」だったと思い起こす。 最近放送に出演して同年代の人々とは違う道を歩かなければならなかった自身を「劣等感を食べて育った怪物」と称することもした。
言葉は留学だが、実は路上を転々とする路上画家だった。 野外にテントを張って過ごした彼は特に人生に疲れた人々の人物画にはまった。 彼は街をさすらうジプシー、顔色が黒いアフリカ移住民清掃夫の顔を描いて彼らと妙な同質感を感じたという。 彼はあるインタビューで「私の映画の始まりは絵」 と語ったが、 「絵が私の人生と人々に対して深く考える契機になった」という理由であった。
彼はパリで<ポンネプの恋人たち> <羊たちの沈黙>という映画に接し、自身の考えを映画で表現する‘映像化法’の世界にはまることになる。 1993年帰国した彼は1995年<無断横断>というシナリオで映画振興委員会の公募に当選して、<ワニ>を通じて1996年監督デビューする。 監督の下で演出部生活をしたなどという経歴すらない‘別種監督の出現’だった。
小卒で清渓川・九老工団生活
防衛兵入隊の代わりに海兵隊志願
齢30でパリへ美術留学
学歴が殆ど無く正式な映画教育も受けなかった彼の作品は、徹底的に無視されたり極と極の論争を産んだ。 彼の作品に対しては「何、そのようなものもある」という類の不明瞭な反応ではなく、強力な支持者と苛酷な批判者で交錯した。 彼の映画に残忍な暴力、女性を虐待する性的描写が登場するや「精神的に問題ある監督」という悪評も出てきた。 商業資本の資金を受けられなかった彼の映画は少ない予算のせいで映画的出来ばえが劣るという評も覆いかぶさった。 作品中の男主人公も浮浪者(<ワニ>),殺人者(<島> <春夏秋冬そして春>),混血児(<受取人不明>),情夫(<悪い男>),私債業者の下ばり(<ピエタ>)等‘暴悪な奴’らで満たされた。 しかし私たちの社会の暗鬱な隈と絶望的な人物を照明して悲劇的な社会に対する救援を望むキム監督の映画世界を擁護するマニア層も厚くなった。 彼の作品にはかえって「ヒューマニティが濃厚に含まれている」という反応だった。
特に海外の映画界が彼に注目した。 国内が彼を追い出せば、外国映画祭が彼を受け止め、再び国内マスコミが彼に注目する図式が繰り返された。 彼は「国内では私の映画を猥褻と見て、外国では私の映画を大衆的映画と見たよ」と物足りなさを吐露しもした。
彼の3番目の演出作<青い門>がドイツベルリン国際映画祭でパノラマ部門開幕作として上映されて以後、<島>が2000年ヴェネツィア映画祭競争部門に進出して世界的映画祭が招請する監督の隊列に上った。 キム監督は国内大鐘賞と青龍映画賞で作品賞を受けた<春夏秋冬そして春>(2003)を基点にし、抑圧と暴力の問題を宗教的メッセージで解きほぐし大衆との接点を狭めていく変化を見せたという評が多かった。
上映館独占・小さい映画 座礁 慨嘆
後輩監督との軋轢をかもすと隠遁
製作費2億 ‘ピエタ’で再び台頭
2004年には世界3大映画祭の内2ヶ所で監督賞を得る気炎を吐いた。 <サマリア>でベルリン映画祭、<空き家>でヴェネツィア映画祭でそれぞれ監督賞を受賞した。 彼は2011年自身の自伝的ドキュメンタリー<アリラン>でフランス カンヌ国際映画祭‘注目するに足る視線賞’を手にして世界3大映画祭で全て受賞する初の韓国監督という記録も樹立した。 「外国で賞をたくさん受け取ったが家に陳列できなくて袋にしまってある」という話は彼がどれほど国際映画祭で多くの賞を受けたかを感じさせる。
外国からの朗報が伝わって来る渦中で、彼は国内映画システムとしばしば衝突した。 一編の映画が全国上映館の半数以上を総取りする寡占のせいで、小さな映画が上映機会を失い座礁している現実を嘆いた。 彼は自身が製作した<映画は映画だ>(2008)の興行収益配分が不当だとして大企業投資・配給会社と訴訟戦を行う曲折を経て隠遁生活も送った。
だが、彼は純製作費2億ウォンに至らない、3週間で撮影した<ピエタ>で世界の巨匠監督として再びそびえ立った。 国内商業資本が冷遇し、国内映画界人脈がなかった彼が今年ヴェネツィアの金獅子賞を受賞したのだ。 ヴェネツィア映画祭審査委員団と外信は「<ピエタ>が残忍な資本主義社会を生きていく人間に対する慈悲と救援を語る感動的でジーンとする映画」と好評した。
彼は最近記者たちと会って「これからは私の考えに100%同意してもらおうとは思わない」として、人生の態度が変わっていることを表わした。 それと共に「過去に戻らず、未来を待たず、現在を逃さずに生きていこうと思う」と語った。 <ピエタ>はやや丸くなったキム・ギドクが今を逃したくない私たちの社会‘現在の悲劇’を照明する作品だ。
ソン・ホジン記者 dmzsong@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/550823.html 訳J.S