第2次世界大戦の終戦1年前の1944年にロシア北西部で生まれたゾーニャさん(80)は、ウクライナの首都キーウの療養施設で余生を送っている。ゾーニャさん一家がソ連を構成する共和国の一つだったウクライナに定着したのは、彼女が10歳だった1954年。当時、ロシアの多くの労働者が鉱山業の発達していたドンバスに向かった。ゾーニャさんの家族もドネツクに定住。ドンバスとは、ウクライナ東部のドネツク州とルハンスク州を指す。ゾーニャさんは、1991年12月のソ連の崩壊とともにウクライナが独立した際、ウクライナ国籍となった。2014年にはウクライナ政府軍と親ロシア系の武装勢力によるドンバス戦争を目撃した。多くの戦争がゾーニャさんの人生を巻き込んできたが、2022年2月にウクライナ戦争がはじまるまで、ゾーニャさんはドネツクを離れたことがなかった。ゾーニャさんは「第2次世界大戦中に生まれた私の人生の最後でさえ、このように戦争に直面しなければならないとは思わなかった」と話した。
2022年2月24日のロシアによるウクライナへの全面侵攻ではじまった戦争が丸3年を迎えようとする中、米国のドナルド・トランプ政権とロシアのウラジーミル・プーチン政権との間で終戦交渉がはじまった。18日、サウジアラビアの首都リヤドで両国の外相は、戦争当事者であるウクライナが不在の中で終戦交渉を開始。米ロ首脳会談も近く行われるとみられる。米国第一主義を掲げるトランプ政権はウクライナ支援に懐疑的であり、ウクライナはロシアに譲歩を強いられる終戦を受け入れなければならない立場に立たされる可能性がある。
終戦が実現したとしても、生活の基盤を奪われた人々の痛みは簡単には癒されないように思われる。ハンギョレは先月31日から今月10日にかけて、ウクライナ戦争の激戦地から避難した人々を取材し、3年の歳月について尋ねた。
キーウの療養施設で出会ったユーリさん(52)も、開戦当初に激戦地だった北部のスームィ地域の生まれで、同地で人生を送ってきた。ロシアは侵攻初日の2022年2月24日、国境に近い同地を攻撃し、一時的にではあるが一部地域を占領した。ユーリさんは、市民が自らロシア軍に抵抗して戦わなければならなかったとして、「健康な男たちはすぐに戦いに立ち上がった。近くの軍部隊から武器をもらってきたり、火炎びんを自分で作ったりした」と話した。ユーリさんも火炎びんを作るためにガラスびんなどを集めて持って行ったり、めちゃくちゃになった村でホームレスや困難に直面する人々に食料を配るボランティアをしたりした。ユーリさんは、ある80代のおじいさんが氷を割る道具を持ってきて、「ロシア人が来たら1人でも殺す」と言っていたことを覚えている。
ユーリさんの父親は、現在はロシア領となっているクルスクの出身だが、自分では完全な「ウクライナ人」だと思っている。ロシアのことは、自国の秩序をウクライナに注入しようとしている侵略者だと考えている。2014年にウクライナからの独立を宣言して親ロ武装勢力が建てた自称「ドネツク共和国」と「ルハンスク共和国」にも親戚が住んでいるが、連絡は電話のみ。ユーリさんは「ドネツクとルハンスクにはロシアの言うことを聞く人がいるが、スームィはそうではない。ロシアは私たちを『解放する』と言うが、私たちはもともと自由に暮らしていた。ロシアの意図は、私たちを再び奴隷にしたいということに過ぎない」と述べた。
一方ゾーニャさんは、自身が「どこの国」の人間なのかはあまり重要そうにはみえなかった。家族が鉱山で働いていたゾーニャさんは、産業が発達していたドネツクに誇りを持っている。ゾーニャさんが住んでいた場所はロシアの占領地の外だったが、戦闘はいつもすぐそばで行われていた。ウクライナ語を使うユーリさんとは異なり、ロシア語で話すゾーニャさんは「ソ連時代から私たちは一つの国だったのに、なぜ戦争をはじめたのか分からない。誰に責任があるのか。私には言うべきことはないが、ロシアは戦争を起こすべきではなかった。戦争を愛する人間は誰もいない」と述べた。
ゾーニャさんは2018年からドネツク州の療養施設で過ごしてきた。療養施設は東部地域最大の激戦地であるポクロウスクからわずか2キロしか離れていないため砲撃を受け、一部が破壊された。ゾーニャさんは国際機関の支援で2022年9月にキーウの療養施設に転院した。当初は2~3カ月でドネツクに戻れるだろうと言われたが、待たされて3年目になる。ゾーニャさんは今もドネツクの施設にいる医療スタッフと連絡を取っており、受話器越しに聞こえる砲撃の音にも慣れてしまった。
ゾーニャさんと同じ療養施設から共に移ってきたアナスタシアさん(86)は、ドネツクで生まれ、戦前まではそこを離れたことがなかった。彼女の娘と孫たちは今もドネツク州に住んでいる。アナスタシアさんは「故郷にいる人々は片方のカバンには書類の束を、もう一方のカバンには衣類を入れておいて、いつでも避難できるように準備している。ロシアは、最初は大都市や産業施設がある場所を中心に攻撃していたが、今は住宅地や農業を主にしている村まで攻撃している。学校、薬局、あらゆる施設を砲撃している。なぜここまでするのか分からない」と話した。(2に続く)