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月給16万円の労働…「酸がはねると爪に丸く穴があくんです」

登録:2023-01-12 11:46 修正:2023-01-26 10:58

<2023年、60歳のユン・ジョンミンさんは工場を去る。21歳のチェ・イェリンさんはすでに工場を去った。去る時に問いかけた。なぜ韓国は少数の人材だけでなく、多数の労働者が主人公となる成功を夢見ることができないのか。ハンギョレは3回にわたって、平凡な労働者の熟練と価値をかえりみない革新、経済成長が個人と韓国社会に残した不安と警告について伝える。>

工場労働者として就職した2001年生まれのキム・スヒョクさん(仮名・左)と2002年生まれのチェ・イェリンさん=カン・チャングァン先任記者、キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 特性化高校卒業、資格あり、仕事に対する情熱もある。2002年生まれのチェ・イェリンさんと2001年生まれのキム・スヒョクさん(仮名)は、2021年にそれぞれの初めての職場に入った。スヒョクさんは現代起亜自動車の4次協力会社に、イェリンさんはスマートフォンに入る印刷回路基板(PCB)をメッキ加工する工場に就職した。

 二人の学歴・年齢・業種・職業は、1980年代後半に民主労組を作り、初期の社会保障制度の対象であり、中産層を夢見たベビーブーム世代の生産職労働者であるユン・ジョンミンさんと似ている。当時も今も、韓国の製造業が国内総生産(GDP)の25~30%ほどの比重を占めるのも同じだ。さらにスヒョクさんとイェリンさんは、人口減少が本格的に始まった出生児数40万人時代に生まれた「貴重な」子どもたちだ。変わったのは時代だけだ。「最小限の労働権? そんなもの、何の役にも立ちませんよ」とイェリンさんは言った。韓国経済をリードしてきた製造業の効率的な生産構造の片隅に彼らはしばし留まり、そして逃げた。

機械補助

 スヒョクさんは幼い頃から機械が好きだった。「科学者も夢見たけれど、現実的に考えると技術を身につけたほうが良いと思いました」。スヒョクさんは年齢が若くても就職が可能で、大学入学も容易だという話を聞き、特性化高校への進学を決めた。中学校時代に似たような考えを持った同級生は9人で、3分の1程度だった。

 当然、機械科を選んだ。鉄を削って曲げるのが面白かった。3年生の2学期、現場実習生として入った初めての職場にも30台の機械が並んでいた。金属を削り加工する自動旋盤・ミーリングマシンだ。好きだった機械との不和は、これまで考えたこともなかった。

 手間のかかる機械だった。機械は絶えず「チップ」と呼ばれる油にまみれたかすを吐き出した。機械を冷まして円滑に動かすために、暇さえあれば切削油を補充した。休む間もなく油を入れ、かすでいっぱいになった「チップ受け」を袋にあけて運ぶことがスヒョクさんの業務だった。機械の世話をする人、実際のところは補助者だった。

 2021年の時点で労働者10万人あたり1千台。世界のどの国に比べても韓国の産業用ロボット密度は圧倒的だ。汎用製品をスピーディーに作り出すのに有利な代わりに、多数の労働者の自律性を疎外する韓国特有の機械化・自動化は、いまでは小規模下請け工場にも広がっている。

 機械の間でスヒョクさんのような生産職労働者の役割は多くない。江原大学のチョン・ジュンホ教授は「大企業であれ下請け企業であれ、労働者はマニュアルに従ってのみ動いたり機械を管理したりする低熟練の反復労働を担うようになり、代替可能なものとなった。だからといって労働の強度が弱くなったわけではない」と説明した。多額の投資費用がかかっているため、機械は休まず動き続けなければならず、誰かがそばでその機械を管理しなければならなかった。スヒョクさんに任された役割だ。

 工場の主人公は入れ替わった。休まず金属を削る機械を補助する中で、スヒョクさんの手と足には金属かすが刺さった。一番の悩みは真鍮のかすだ。手袋を突き破り、靴下の中に入り込み、指と足の裏に食い込んだ。「真鍮のチップはつながっては出てこず、途切れ途切れで尖っています。これがすごく細かくて刺さると痛いんですが、目にはよく見えないんです」

現代起亜自動車の4次協力会社で働いていたキム・スヒョクさん(仮名)が2日夕方、京畿道安山市のスマートハブ展望台で自分の職場のある半月国家産業団地を見下ろしている=カン・チャングァン先任記者//ハンギョレ新聞社

 手袋が不可欠だった。「1日に1個ずつもらっていた白い軍手は切削油がつくと傷んでよく破れてしまうんです。それで最初に手袋をもっとほしいと言ったんですがくれなくて、結局あきらめました」。 爪切りやピンセットで指と足の裏に刺さった真鍮のかすを抜き取り、つらい一日を終えた。現場部長が言った。「この仕事で(売上の)損害を出さないようにするためには(生産職労働者が)工場に朝早く出てきて、夜遅く退勤して、機械を点検して回さなきゃならない。他の技術職や事務職を探してみろ」。機械に合わせて回っている工場の風景を、50代の労働者は見通していた。

 工場の機械のそばについて同じような作業を繰り返すスヒョクさんと友人たちは、労働の意味を見出せない。特性化高校の卒業生の集い「マニト」がここ3年間(2020~2022年)に工業団地に就職した安山(アンサン)・始興(シフン)地域の特性化高校卒業生を対象に行ったアンケート調査で、調査対象の98人中67人(68%)が「いまの業務を辞めたい」と答えた。

詐欺就職

 イェリンさんが現場実習生として初めてメッキ工場に入った時、信頼できると感じたのは匂いのためだった。「メッキ工場は匂いがして汚い」という先入観とは異なり、きれいな外観を保っていた。危険物技能士と環境技能士の資格を取ったイェリンさんは、有害化学物質の安全管理者として就職した。

 イェリンさんは「事務職」だったが、「基礎から身につけなきゃ」という担当部長の指示で現場に行った。ただし、メッキ溶液にどんな化学物質が入っているのか分からないまま、素手を入れなければならなかった。誰もこれについて話してくれなかった。周りの外国人と中高年の現場職労働者20人は手袋をはめていたので、「手袋ありますか?」と尋ねたが、部長は無視した。メッキ槽(メッキ溶液が入った容器)の周辺に硫酸・硝酸などの強酸が表記された容器が置かれていた。メッキ溶液に素手を突っ込み作業を始めて数日が経つと、手には膿みがにじみ、皮膚がはがれた。「爪が文字通りえぐれて溶けたり穴があいたりして出血したこともよくあります。酸がはねると、その跡のとおりに(爪の上に)丸く穴が開いて血が出るんです」。 イェリンさんの報酬は月160万ウォン(約16万4000円)だった。

 きれいだった外観にも秘密があった。「その日は匂いのしない金メッキ作業ばかりだったので、環境検査でも来るのかと思ったそうです。私が入ってきてから、新しい子がくる際に良くない環境に見えたら入ってこなくなるという理由でそのようにしたことを知りました」。作業を止めて工場をきれいにしたほど、イェリンさんは必要な労働者だった。

 若者が製造業の生産職を避ける雰囲気は、昨年特に目立った。2022年上半期現在で、製造業の不足人員は一年前より4万6千人増え、17万6千人に達した。全産業の未充員人員の大半(94.7%)は300人未満の事業体に集中していた。足りていない労働者は、たいてい高卒水準または短大卒水準の業務の熟練度が必要な仕事(56.9%)だ。

 なぜ若者が工場で働こうとしないのか、工場も分かっている。人材が定員に満たない理由について最も多い回答は「賃金水準など労働条件が求職者の期待と合わないため」(29.1%)であり、「求職者が忌避する職種であるため」(17.9%)が後に続いた(雇用労働部 2022上半期職種別事業体労働力調査の結果)。

 スヒョクさんも、人材が貴重な会社で事実上「詐欺就職」にあったと考えた。担当上司は面接で「兵役特例もさせてあげるし、希望するなら大学に通いながら働ける」と言ったが、就職後「兵役特例をさせてほしい」と要求しても毎回黙殺された。兵役特例期間が終わると同時に若者たちは退社するため、会社は兵役特例の開始時点を最大限遅らせようとするのだ。

 「もしそれ(兵役特例)がなかったら、若い人たちが行く工場なんてほとんどないですよ」。スヒョクさんの月給は170万ウォン(約17万5千円)。午後10時まで残業をすることも多かった。残業は元請けが審査にくる前日に集中した。「エスキュー(現代起亜自動車の協力会社の品質認証制度)の審査がくるといえば、残業するということです」。 元請けとの関係がなければ維持が厳しい会社、4次ベンダーのいちばん若い社員であるスヒョクさんは、巨大な下請け構造の最下層にいた。

それなりの抵抗

 軍手を得るために、兵役特例の約束を要求するためにできることは多くはなかった。労働者の権益、安全のために連帯する組織が、イェリンさんとスヒョクさんの働いていた工場にはなかった。2020年時点で30人未満の事業体の労働組合組織率はわずか0.2%。イェリンさんは「私一人で叫んだところで何にもならないと感じたので、労組が必要だ」と考えるが、実際に労働組合の存在を見たことがなかった。スヒョクさんは「自分が食っていくことで精いっぱい」と話した。

スマートフォンに入る印刷回路基板(PCB)をメッキする工場で働いていたチェ・イェリンさんが昨年12月28日午前、京畿道安山市の半月国家産業団地を背景に写真撮影に応じている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 それでも自分なりの方法で、誰かのために抵抗した。イェリンさんと友人たちは働いていた会社を 「レビューするように」 評価して先生に伝えた。工場は時を選ばず学校に連絡し人材支援を要請するので、後輩たちのためにも「ブラックリスト」を作る必要があった。イェリンさんは先生に「絶対に生徒を送らないでほしい」と言い、自身の体験談を伝えた。

 工場の現実に向き合った若者はそれぞれ「専攻と異なる仕事を与えられた」「差別を受けている」「兵役特例だといって見下される」と吐露した。学校は卒業した生徒たちの通報を受けてようやく問題を認知した。「私が退社した後、学校はその会社にはもう生徒を送っていないそうです」。イェリンさんは安堵して言った。

 最も積極的な抵抗は、工場を辞めることだ。イェリンさんが退社の意思を明らかにすると、上司は暴言と哀願を繰り返した。「出勤しなくていい。退職金は払わないからな」、「工業高校出身だから頭が回らないんじゃないか」と言ったかと思えば、ある日には「君みたいな人材はどこからも見つけられない」、「一緒にやってきた作業は仕上げなきゃならないだろう」と言った。イェリンさんはぶれなかった。「経歴のある人たちにやらせれば業務は円滑に回るでしょうが、年齢層が高くなれば(会社の運営が)厳しくなるからです。若い人は給料が少なくて済むから」

 スヒョクさんは「入社と同時に兵役特例をさせる」という約束をもらい、二番目の職場に通っている。新しい会社で学んでいる溶接自体は「面白くて続けたい仕事」だ。ただし、韓国にずっと留まるつもりはない。「体もきつくて処遇も良くないし、『工場で働いてる』というのは聞こえも良くないでしょ。だから外国に行きたいんです。オーストラリアかカナダかニュージーランドかな。まだあまり考えてはいないけど」

 人口減少時代の子どもたち、イェリンさんとスヒョクさんはそれぞれ工場を、韓国を去る計画を立てた。貴重なのに大切にしない矛盾の前では、哀願も脅迫も無意味だ。

安山/チャン・ピルス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1075371.html韓国語原文入力:2023-01-12 08:36
訳C.M

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