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[寄稿] 実質賃金が減る初の事態

登録:2022-12-14 04:03 修正:2022-12-14 08:06
イラストレーション/キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 憂慮していたことが現実になった。世界的に実質賃金が減少したのだ。賃金は名目上は上がったが、物価上昇率にはるかに及ばなかったため、実質的には減った。

 先日発表された世界賃金報告書によれば、実質賃金は世界全体で0.9%減った。この間、世界の賃金の成長を主導してきた中国を除外して計算すれば、減少幅は1.4%にのぼる。過去20年間、賃金水準をめぐっては批判も多く問題も多かったが、実質賃金はそれでも平均で2%あまり上がっていた。世界金融危機ですべての経済が困難に直面していた2008年から2009年にかけても、実質賃金は1%ほどあがった。新型コロナウイルスで瀕死状態に陥っていたここ数年間も、政府の大々的な賃金関連の支援のおかげで、仕事量は減っても労働所得は何とか維持できていた。だから、実質賃金の下落はまさに「初の事態」だ。

 経済が厳しく総所得が減る時、賃金も減るのは痛いものの避けられない。しかし今はそのような状況ではない。今後の展望に暗雲が立ち込めており、世界の地政学的な不安も高まっているが、現在まで経済成長は続いている。国際通貨基金は、今年1年で世界経済は3%ほど成長すると推定している。それには労働がかなり寄与している。物価要因を除去した実質労働生産性を見れば、コロナ禍の余波でここ数年は停滞していたものの、今年は急激な上昇を示している。すなわち、実質労働生産性は上昇したにもかかわらず、実質賃金はむしろ下落したのだ。労働者の寄与は高まり、受け取りは減ったということだ。

 もちろん、賃金と労働生産性の格差は今にはじまったことではない。この30年間の賃金の成長は労働生産性の上昇に追いついておらず、こうして累積した格差は所得不平等の拡大の主な要因となっていた。しかし今までは上昇幅の差が問題だった。今年のように労働生産性は上昇しているのに賃金は減るという、向かう方向の違いではなかった。その結果、労働生産性と賃金の格差は2000年以降で最も大きくなった。まだ具体的な推定値は出ていないが、企業の利潤は大規模に増えているだろう。

 さらに心配なのは、このような数値も「平均」に過ぎないということだ。今は分離と分裂の時代だ。コロナ防疫期にすでに経験していることだ。高賃金の職種は雇用の安定と所得上昇を享受した一方、雇用や所得の損失は低賃金低所得層に集中したため、数多くの国でここ数年、賃金と所得の不平等が拡大した。今の状況もさほど変わらない。

 何よりも、物価上昇が月給に及ぼす影響は同じではない。それは例えば、いま食料品やエネルギー部門が物価上昇を主導しているが、低所得層ではこのような品目の支出の割合が圧倒的に高いからだ。発展途上国は特にそうだ。例えば、メキシコでは所得の最底辺層の食料品の支出割合は40%を超えるが、最上位層ではその割合は3分の1ほどだ。このような理由から、下位所得層が直面する物価上昇の実質的な打撃はより大きい。最近の推定によると、今の物価上昇率が6%だとすると、下位所得層が実質的に直面する物価上昇率は10%ほどになるという。結局、低賃金低所得層が直面する損失は重層的だ。相対的に少ない受け取りの中からより高い値段に支払っているのだ。

 「初の事態」には当然果敢かつ迅速な「初の対策」が必要だが、これも容易ではない。まず、個別的、団体的方法を通じた賃金交渉。最も理想的で効率的な方法たりうるが、現在のところは最も限定的な方法だ。労働者の全般的な交渉力が弱まっているだけでなく、ほとんどの国のマクロ政策は賃金引き上げについて露骨に警戒しており、それに伴い企業の態度はより一層頑強になっている。賃金交渉の環境が著しく悪化しているのだ。加えて、こうした限定的な賃金交渉の機会も低賃金低所得層にとっては「夢のような機会」に過ぎず、能力のある労組の連帯と支援の手もなかなか見えない。

 賃金交渉が難しい低賃金層のための最低賃金はどうか。やはり容易ではない。多くの国で最低賃金は調整され続けてはいるが、物価の上昇スピードには遠く及ばない。最低賃金の引き上げを特に声高に叫んでいた米国と英国でも、ここ2~3年で最低賃金の購買力は落ちた。英国では実質最低賃金は4%ほど下落し、米国では下落規模がその2倍を超える。他の欧州諸国も同じだ。最低賃金は少なくとも物価上昇率と同等程度には上がるべきだとの原則をこれまで守っていたが、二桁を行き来する物価上昇率に困り果てている。

 したがって現在の状況では、労働者、特に低賃金低所得者の生計の安定のための政策が切実に求められている。それなしには効果的な賃金交渉と最低賃金調整は事実上難しい。公共財の性格の強いエネルギー部門では、価格への介入が必要不可欠だ。「価格決定は何が何でも市場で」というピューリタン的な方法は庶民と労働者の犠牲が担保にされる危険性が高いし、近ごろの欧州の事態が示したように非効率的で非現実的だ。エネルギー価格が上がれば消費が減り究極的な安定を得られるという主張も同じだ。価格調整は必要だろうが、それにともなう「消費の縮小」は、低所得層にとっては単なる消費構成の調整ではなく、「生存の問題」になりうる。やむを得ず価格調整を行わなければならないなら、彼らのための所得支援策も同時に伴わなければならない。食料品も同様だ。欧州諸国が食料品とエネルギーをはじめとする必須財に対して付加価値税を果敢に引き下げたのも、このような理由からだ。

 そして、多くの人々の経済的困難によって「利益」を得た人や組織があれば、当然その利益は社会的に分配する措置を取るべきだ。そのようにして賄われた財源は低所得層の生計の安定のために使えば良い。特にエネルギー企業をはじめとする、このところ史上最大の利潤を上げている企業に対しては「超過利潤税」(または棚ぼた税)を課す必要がある。表面的には技術的困難を理由として反対する声があるが、実際には企業と専門家の本能的利害関係と拒否感がより大きな理由だ。今までやったことがないということは、新たな現実に対して新たな解決策を求めない理由にはなりえない。

 通貨政策も変わらなければならない。賃金が上がって物価が上昇する悪循環を防ごうとして、通貨政策が荒っぽく運用されてきた。しかし悪循環の証拠はなく、物価の安定は遅々として進まず、経済低迷の兆候ばかりが強まった。その苦しみは再びすべて中下層労働者階層に転嫁されつつある。

 仕方のないことだと言って、内心では実質賃金の下落を歓迎する政策当局者と企業はいることだろう。だが、このままではいけないとして労働者が行動を起こすことも「仕方のないこと」だ。それを非難することで阻止できると考えることこそ、政策失敗の第一歩だ。不確実性に満ちた労働の歴史において、せめてこれだけは誰もが痛切に記憶しておくべきだ。

//ハンギョレ新聞社

イ・サンホン|国際労働機関(ILO)雇用政策局長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1071458.html韓国語原文入力:2022-12-13 19:50
訳D.K

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