尹錫悦大統領の100日記者会見に対する評価の中でも、圧巻だったのは「成功した大統領が任期を100日残して5年間の自身の業績を誇る会見かと思った」というものでした。尹錫悦大統領は記者会見の間中ずっと、自信に満ちて堂々としていました。少し申し訳なさそうな表情になるかもしれないという予測は完全に外れました。尹錫悦大統領は本当に理解しがたい政治家です。
8月19日に発表された韓国ギャラップの国政支持率は28%でした。先週の25%から3ポイントの上昇でした(中央選挙世論調査審議委員会のウェブサイト参照)。およそ25%ほどが、尹錫悦大統領を中身の評価なく支持する『コンクリート支持層』であるわけです。
尹錫悦大統領の国政支持率は、さらに持ち直せるのでしょうか。尹錫悦大統領がどうするかにかかっています。今のように「私は間違っていない」と頑張っていては、底辺から抜け出すことは難しいでしょう。反省して謝罪すれば上がるでしょう。
人的改編が必要なわけ
反省と謝罪の証は人的改編です。大統領制においては、大統領が自らの過ちを反省し、国民に謝罪するほぼ唯一の方策こそ人事改編です。秘書室長、首相、長官などの政務の公職者に大統領の過ちをなすりつけて更迭するのです。いけにえの羊を祭壇にささげるのと同じ原理です。歴代の大統領は誰もがこのようなやり方で危機を乗り切りました。
尹錫悦大統領と同様に任期初期に国政支持率が墜落した李明博(イ・ミョンバク)大統領もそうでした。米国産牛肉の輸入問題で光化門ろうそく集会が続いたことで、青瓦台の官邸の裏山に登って「朝露」の歌を聞きました。リュ・ウイク大統領室長と民情首席、外交安保首席、経済首席、国政企画首席、教育科学文化首席を更迭しました。国民の怒りは和らぎました。国政支持率は徐々に回復しました。
尹錫悦大統領は果たしてどうするのでしょうか。わかりません。ところで、私は今回の就任100日記者会見を見守りつつ、一つ根本的な疑問が生じました。尹錫悦大統領は一体なぜ大統領をやっているのでしょうか。突拍子もない考えですよね。とにかく知りたいと思いました。答えを探るために、彼の過去の発言を改めて検証してみました。尹錫悦大統領は昨年3月4日に検察総長を辞任し、6月29日にソウル瑞草区(ソチョグ)の梅軒 尹奉吉(メホン・ユン・ボンギル)義士記念館で大統領選挙への出馬を宣言しました。宣言文は「文在寅(ムン・ジェイン)政権」に対する怒り、憎悪、呪いに満ちていました。
「この政権が犯した非道な行いはいちいち並べ立てるのも難しい。政権と利害関係で絡み合った少数の利権カルテルは権力を私有化し、責任意識と倫理意識が麻痺した食物連鎖を構築しています。この政権は権力を私有化するにとどまらず、政権を延長して国民を略奪し続けようとしています。韓国憲法の根幹である自由民主主義から自由を取り去ろうとしています。民主主義は自由を守るためのものであり、自由とは政府の権力の限界線を引くものです。ですから、自由が抜けた民主主義は本当の民主主義ではなく、独裁であり専制です。この政権は一体どんな民主主義を望んでいるのですか。到底彼らをこのまま放置しておくわけにはいきません」
簡単に言えば、「文在寅政権は国民の自由を剥奪する独裁政権で、そのような独裁政権を倒し、政権を交代させるには私が適任者であるため、大統領選挙に出馬することを決めた」という意味です。私は、この時はまだ、尹錫悦前検察総長が「自由」という価値を持ち出したのは大統領選挙に出馬するための大義名分に過ぎす、臨時に借用したものだと考えていました。違いました。尹錫悦大統領は今年5月10日の大統領就任式で、自由をテーマとして全国民に哲学講義を行いました。自由という単語を実に35回も使いました。
「私たちは自由の価値をきちんと、そして正確に認識しなければなりません。自由の価値を再発見しなければなりません。人類の歴史を振り返ってみると、自由な政治的権利、自由な市場が息づいていた場所は、常に繁栄と豊かさが花開きました。繁栄と豊かさ、経済的成長はすなわち自由の拡大なのです」
8月15日の光復節の祝辞も同様でした。尹錫悦大統領は今回も「自由」という単語を33回使いました。
「ますます深刻化する両極化と社会的対立は、韓国社会が必ず解決しなければならない課題です。これを本質的に解決するためには飛躍と革新が必要です。飛躍は革新から生まれ、革新は自由から生まれます」
順序を変えれば「自由は革新を生み、革新は飛躍を生み、飛躍は両極化と対立を解消するだろう」という意味です。大統領選出馬宣言から、大統領就任演説、光復節祝辞にいたるまで「自由がすべての問題を解決するだろう」という呪文を絶えず唱えているのです。自由の価値を世界中に広めることを目指す哲学者のようにです。
イデオロギー対立論の別の言葉、「自由」
本当に心配です。みなさんは、哲学者と政治家の違いは何だと思いますか。プラトンが「哲人政治」を唱えていますが、それは古代ギリシャ時代の話です。現代民主主義国家においては、政治家は国民の主権を委任され、国政を遂行する公職者に過ぎません。公職者には哲学ではなく問題を解決する「実践知(prudence:実践的な知恵)」が必要です。ユン・ヨジュン元環境部長官は2011年に著した『大統領の資格』で「ステートクラフト」を実践知の概念で説明しています。同氏は「ステートクラフト」を「国家を治める『実践知』であり、特に近代、民族国家という特殊な形の政治共同体を創設、維持、発展させる過程で要求される集団的決定と、その実行を管理監督する実践的能力」と定義しました。
そうです。政治家とは何かを「なす」人です。特に考える人ではなく、実践する人でなければなりません。尹錫悦大統領の大統領選出馬宣言、大統領就任演説、光復節の祝辞まで、数え切れないほど鳴り響いた「自由」という単語が空しく聞こえるのは、その自由を具現するための具体的かつ実践的な方策を提示できずにいるからです。どれほど待てば内容が満たせるのか疑問です。
ところで、尹錫悦大統領が「自由」という言葉にしがみついて離さないのはなぜでしょうか。「文在寅政権」のことを「国民の自由を剥奪する全体主義勢力」であると本当に確信しているのだと思います。中国の共産党政権や北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)政権のようにです。自由を前面に押し出したイデオロギー対立論であるわけです。尹錫悦大統領が候補時代に、大きなショッピングセンターで煮干し(ミョルチ)と豆(コン)を買う場面を使って「滅共(ミョルゴン)チャレンジ」に参加した瞬間を覚えているでしょう。私は、それは極右保守層の票を得るための選挙用イベントだと思っていました。でもそうではなかったようです。
尹錫悦大統領が100日記者会見で紹介した成果は、大方は文在寅大統領、文在寅政権の過ちを正したというものです。「所得主導成長のような誤った経済政策を廃棄した」と述べています。「税制を正常化した」と述べています。「一方的で理念にもとづいた脱原発政策を廃棄した」と述べています。「放漫で肥大化した公共機関を、核心機能を中心として再編」したと述べています。「韓米同盟を再建」したと述べています。「史上最悪の日本との関係も急速に回復、発展させつつある」と述べています。
尹錫悦大統領自身の経済政策や外交安保政策がどのようなものなのかは、きちんと説明していません。結局は「反文在寅」、「反民主党」が尹錫悦大統領と尹錫悦政権のアイデンティティであり、価値観のようです。いったい国政をどのように運営していこうとしているのか疑問です。
国民に対する約束は守られるのか
すべて結構。とにかく今の大韓民国の大統領は尹錫悦です。尹錫悦大統領が失敗すれば、大韓民国政府が失敗するのです。どうすればよいのでしょうか。幸い、尹錫悦大統領はすでに答えを持っているのかもしれません。昨年11月5日、国民の力の大統領候補に選出されたことを受諾する演説で、尹錫悦候補は驚くべきことにこのように述べています。
「私、尹錫悦は、傾聴しコミュニケーションする大統領になります。政治の本質は多様な利害、価値と信念の違いがもたらした対立を解決することです。全体主義国家では指導者の『独断』で問題を整理しますが、民主主義ではひたすら対話と妥協のみが解決策です。国民の言葉を傾聴する大統領になります」
「誠意のある大統領になります。損害を被ろうとも、原則と所信、常識と誠意でアプローチしてゆきます。国民の気持ちを読み取れなかったら、私に対する支持と声援はいつでも批判と怒りに変わり得るという謙虚な姿勢で臨みます」
本当に素晴らしいですよね。この通りにやりさえすれば、尹錫悦大統領は成功できると思います。尹錫悦大統領には、候補受諾演説で国民にした約束を必ず守ってもらいたいものです。可能でしょうか。みなさんはどう思われますか。