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[寄稿]「先進国入り」した韓国――20世紀と21世紀の先進国の差

登録:2021-07-30 11:32 修正:2021-08-03 07:12
//ハンギョレ新聞社

 大韓民国が先進国になったという。国連貿易開発会議(UNCTAD)は7月2日、韓国を開発途上国グループであるAグループから、先進国(advanced country)グループであるBグループに編入させたと発表した。同機関は主に南北問題、すなわち西欧中心の先進国と非西欧の開発途上国や低開発国間の貿易不均衡の解消と、低開発国の経済開発促進のために設立された機関であるため、韓国が開発途上国グループから先進国グループに移ったというのは、後進国あるいは開発途上国としての悲しみを脱するという意味もなくはないが、もはや韓国が国際舞台ではもう「もらう国」ではなく「与えなければならない国」になったという重い意味を持つ。

 大韓民国はもう先進国だという言葉は、それほど目新しいものでもない。2020年基準で韓国の経済規模は世界10位を占め、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、開発援助委員会などではすでに前から韓国を先進国の一員と見なし、関連政策を樹立し執行している。今回のUNCTADの決定を含め先進国の基準がすべて経済規模と関連したものなので、政治、経済、文化などもっと全体的なレベルでも先進国であり得るのかと思うかもしれないが、国連開発計画(UNDP)が樹立した実質国民所得、教育水準、識字率、平均寿命など、生活の質の部門をすべて含めた人間開発指数(HDI)の順位では、韓国は昨年基準で23位だという。大体上位10%に当たる20位圏を先進国とするならば、大韓民国は少なくとも統計的には先進国に属することがすでに既成事実となったと言ってもいいだろう。

 その他にも大韓民国の「先進国化」を立証できる事例は少なくない。コロナ・パンデミックという世界的な災害状況の中で、少なからぬ先進国が自国社会の低劣な素顔を天下にさらしているが、韓国は発生初期から現在まで感染病に対する統制力を失わず、国家の危機管理能力、社会的統合力、市民意識など、様々な面で先進的な面貌を惜しみなく発揮している。これは偶然の結果ではなく、これまで韓国社会が教育、保健医療、治安、交通など公共サービス分野で長い間蓄積してきた力量と、情報技術(IT)産業分野の先導的発展が自然に結集した結果だと言える。また、「韓流」と通称される大衆音楽、映画、テレビコンテンツ、ファッション、食文化などのグローバル化が、最近になってますます加速しているというのも、少数の天才的な才能による一時的な現象として見るにはその規模と持続性の面でかつての「たまたまの快挙」とは異なり、確実に世界最高水準と軌道に乗ったと見るのが正しいだろう。

 それならば、大韓民国は今やどこに出しても引けをとらず、名実ともに「先進国」なのだろうか。それはまだ遠い、という立場で提出している統計と意見も少なくないのが事実だ。主に経済協力開発機構(OECD)の2019年から2020年の間の最新の統計資料によると、37の加盟国のうち、年間労働時間が36位、自殺率1位、女性に対する処遇が37位、出産率が37位、労災死亡率が1位、国家幸福指数が35位などと表れた。そして韓国は上位10%の集団が全体所得の半分を占める深刻な貧富格差の国であり、主要50カ国のうち3位圏に入るという統計も出ている(2017年、韓国労働研究院)。

 何よりも、このような統計資料が示すだけでなく、特にパンデミック以降、深刻化した恐慌状態に近い雇用危機や中小自営業者の没落、不動産価格の高騰などによって発生する、統計ではつかみきれない社会

心理的な不安状態と累積したストレスの社会的荷重などを考えれば、国連機関による先進国の議論が虚しく、なじみの薄いものだという感じを拭えないだろう。若者層を中心にヘル朝鮮談論が盛んに行われたのがった10年前のことだ。

 にもかかわらず、今や富の蓄積と全般的な物質的インフラと生活水準または満足度において、大韓民国は伝統的な意味での先進国の水準に進入したと思われる。むしろ、今や韓国が先進国の一員という事実は、意識的に強調され社会構成員の心に刻まれる必要がある。もちろんそれは、韓国ももう先進国になったのだから後進国や開発途上国の時のように劣等感や自己侮蔑に陥らずプライドを持とうとか、あるいは、国に対して無理な要求や不満を表出せず自分の職分に忠実であれ、などというような保守の既得権支配階級の論理を内面化しようということでは全くない。むしろその反対だ。韓国は先進国になったのだから、社会・政治・経済・文化などすべての面で先進国としての国の品格に合った生活と体制基準を立て、その基準に到達することを社会構成員全体の目標として設定し、努力していかなければならないということだ。

 では、21世紀の先進国の条件とは何か。過去20世紀の先進国の条件は、利潤を創出する社会経済的システムの持続性、すなわち経済成長の一国的持続性に密接に関連していたと言える。しかし、21世紀の先進国の条件は、相対的富の蓄積は基本値としても、これからはその土台の上で個別国家の成長の持続可能性ではなく、世界・地球全体の生活の持続可能性にどれだけ貢献できるかにあると思う。自国内の不平等解消と生活の質の向上はもちろん、それに加えて地球温暖化を含む予測不可能な自然・社会的災害に対する全面的かつ迅速な対応と、世界規模の富の不平等の解消、生活の質の改善による人類全体の持続可能性にどれだけ貢献できるか、また、果たしてその意志と能力を持っているかがすなわち先進国の条件である。

 成長は終わった。もうすべての成長は、富と利潤の無限大増殖のためのものではなく、地球体制の全般的な危機を解消することに積極的に参加する過程で得られる望外の所得を超えてはならない。何よりも、無限大の成長を前提に許されてきた富の無限の追求と不平等も、もう終わりにしなければならない。今や問題は成長ではなく分配だ。世界の10%の上位層がこれまで積み上げてきた富の総量は、地球が滅びるまで10%も使い切れない。今は分け合わなければならない時だ。大韓民国も同じだ。もう先進国になったのだから、これ以上持とうとしてはいけない。富裕層の貯め込んだ“蔵”を開放して、病んだ地球環境を改善し、不平等に苦しむ貧困層の苦痛を癒し、持続可能な地球・人類の共同体を作るためのことにすべての蓄積された力を注がなければならない。血を流さずにこのような大転換を成し遂げることができるかどうかが、20世紀型先進国を越え、21世紀にも先進国でいられる基本条件だと私は考える。先進国になるということは、依然として挑戦であり続けるのだ。

//ハンギョレ新聞社

キム・ミョンイン|仁荷大学国語教育科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1005831.html韓国語原文入力:2021-07-30 07:53
訳C.M

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