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バーシュボウ「崔時仲・李相得が李明博の頭脳」

https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/497615.html原文入力:2011/09/23 11:20(5024字)

ウィキリークス公開、バーシュボウ大使対外秘情報報告
「人間関係の下手さのため、側近だけ信頼」

「かれ(李明博)の人間関係の下手さのため、ただ周辺の友人と側近のみ信頼する」

駐韓アメリカ大使館は李明博次期大統領当選直後に作成した対外秘情報報告で、李大統領についてこのように報告した。 このような内容は、内部告発サイトのウィキリークスが公開した秘密文書中の韓国関連文書を共同翻訳する「ウィキリークス韓国」が22日に公開した「李明博次期大統領どのような人物か」を通じて明らかになった。この文書は、米国大使館が李大統領の指向と関連して、成長背景と家族関係、人間性、主要政策などを分析して本国に送ったのだ。

文書は李明博の性格について「現代建設で出世する過程で李明博は能率をあらゆる物事の上に置き、とても細かく結果指向的な人だった」として「どんな任務達成にも自身の能力に対する確信があった」と評価した。

しかし文書は「いくつかの資料によると、李明博次期大統領は恥ずかしがりやで人々を自分側に引き込む際に、あまり社交的ではないとされる」として「李明博がなぜ、ライバルの朴槿恵(パク・クネ)と李会昌(イ・フェチャン)前党代表とうまく行くことができなかったかを説明する時、人々が彼の性格を例にあげる」と報告した。 それと共に文書は「彼の人間関係の下手さのために、ただ周辺の友人と側近のみ信頼するという話が出る」と伝えた。

李大統領の周辺人物に関しては、「兄である李相得(イ・サンドク)国会副議長と崔時仲(チェ・シジュン)前ギャラップ研究所会長が、李明博の政治的頭脳と考えられる」として「強い気質を持った李明博次期大統領は、ただこの二人からのみ影響を受けられると、接触した多くの人々は伝えた」と報告した。

文書は李大統領の外交政策に対して、「多少曖昧だが、疑う余地なく保守的な見解が反映される」と評価した。また、経済政策に対しては選挙時に打ち出した「大運河構想」を例にあげて、「運河のアイディアは、韓国経済に活力を吹き込む鍵ではなかったと判明される可能性が大きい」と見通した。

文書は「経験上、彼の英語は初心者水準であり、すべての業務会議で通訳を必要とする」としながら、「いわば、彼の英語は「廊下外交」を遂行したり、首脳会議や国際的な集まりで他の指導者たちとの雑談に参加するのには十分だろう」と報告した。その一方で「盧武鉉を越える意味ある進展」と評価した。

バーシュボウ前アメリカ大使は、文書の終わりに論評を通じて、「彼が自身の計画を達成するためには、BBKスキャンダルに対する特検の暴風を耐え抜かなければならない」と評価した。以下は22日公開された「李明博次期大統領どのような人物か」の翻訳の主要内容だ。

 デジタルニュースチーム



 「李明博次期大統領どのような人物か」 

1.(対外秘)要約:李明博次期大統領は自分の力で裸一貫から地位を得た実業家かつ政治家であり、現代建設の代表理事として成功した経験があり、多くの人々を自身が第17代大統領として偉大なことを達成できるはずだと信じさせたソウル市長だった。過去例のないほど最も徹底的に調査された大統領候補者として李明博は、韓国で1970年代と80年代を思いのままに享受した金持ちと力がある者として典型的な人間なので、土地法を多少緩く解釈する生活を送っている。

しかし彼は、過去には隠密な闇取り引きは誰でもすることだったと主張する。12月14日、彼が発表した重点事項を証明するために、彼は自身の全財産を彼の家族でない韓国の貧しい人たちに寄付するつもりだといった。李明博の貧しかった時期から金持ちになるまでの人生の話は、すでに2つのTVシリーズとして作られた。その内容は、2月25日大統領宣誓をする彼がどんな大統領になるのかに対する洞察を示している。 (要約終わり)  

  背景

2.(敏感だが未分類)ハンナラ党候補の李明博は1941年日本で生まれ、家族と共に光復後に韓国に戻った。彼の家族は、周囲がみなそうであったように非常に貧しかった。彼は貧困を今日の自身をあるようにさせた要素として、しばしば引用する。 7人兄弟中5人目の彼は、幼い時期から大学時代まで間、自身の学費に充てるために仕事をしなければならなかった。彼は高麗大の学生会長として民主化闘争に参加し、6ヶ月間の監獄生活をした。彼は肺の病気により兵役を免除された。1965年、現代建設に入社後、35才に社長、46才に会長、そして1976年から1992年まで最高経営者として過ごした。現代勤務時期、彼はタフな経営陣として知られており、創業者の故鄭周永(チョン・ジュヨン)が自分に完全に依存していたとしばしば自慢した。

3.(対外秘)彼は1992年当時、与党の新韓国党(ハンナラ党の前身)に比例代表で政界入りした。その後、彼はソウル中心の鍾路地域の議席を得ようと立候補した。その選挙で盧武鉉大統領に勝った。彼は1998年に選挙資金法違反で議席を失い、訪問学生としてジョージ・ワシントン大学で1年を過ごした。彼はソウルに戻って2002年、ソウル市長に選出された。彼の近い側近によると、彼は1990年代末から大統領府に入るのを念頭に置いており、より多くの国民の認識と経験を得るために市長に立候補した。

4.(敏感だが未分類) 2002年から2006までソウル市長として、彼は数多くの野望に満ちたプロジェクトを始めた。その中心は、1960年以来高架道路に覆われて重度に汚染されていたソウルのメインストリートの清渓川の環境復元、市庁前の芝広場、バスシステムの改編、ソウルの森開場などだ。このようなプロジェクトは(特に2005年に公開された清渓川は)、引き続きソウル市民の人気を得ている。ソウル市民のために生活の質を向上させようと献身する、環境意識がある指導者としての名声を得る助けとなった。現代建設の最高経営者として市長として、彼は巨大な建設プロジェクトに対する実績と盲目的な愛着により「ブルドーザー李明博」とのニックネームを得た。

  外交政策

5.(敏感だが微分類)彼の外交政策は多少曖昧だが、疑う余地なく保守的な見解が反映される。彼は自身の外交政策は世論でなく国家の利益に基盤を置くと主張する。これは保守主義者が「北朝鮮に対して甘く、韓米同盟に対して十分に支持していない」と紙切れを付けた盧武鉉政権を間接的に批判したのだ。李明博の政策は次のような要素を含む:

韓米同盟:彼の外交政策顧問であり外交通商部長官の柳宗夏(ユ・ジョンハ)(1996-98)は「米国は李明博次期大統領に対して何も心配することはない」としばしば繰り返し話してきた。彼はイラクへの韓国軍の増員派遣と韓米FTAの批准を支持している。たとえ、戦時作戦統制権移転は再交渉されなければならないと話していても、彼は詳細な協定よりは単に戦時作戦統制権移転の時期を再考するのを模索するようだ。

北朝鮮:彼は北朝鮮の完全な核廃棄と真の開放を促進する戦略的政策を追求することを約束した。彼は経済的援助は盧武鉉政権の処理方式とは対照的に、「非核化に向けた過程の上で」という、より厳格な条件のみで行わなければならないと主張した。

もし北朝鮮が核兵器を廃棄して社会を開放するならば、彼は10年以内に北朝鮮が1人当りの国民所得3000ドルを達成することができるよう助けることで、その後の両国は人権と統一について対話することができると話してきた。

東北アジア:柳宗夏は、李明博は柔軟で実用的に中国と日本に対して接近するはずで、韓米日三者同盟を進めなければならないと話してきた。

  経済計画:運河が遅れている

6.(対外秘)李明博の国内政策は彼の747政策でまとめられた、7%の年間成長率、韓国の1人当りのGDPを2倍の4万ドルにして10年以内に韓国を世界第7位の経済国になれるという約束だ。彼はさらに速い成長は、韓国の富める者と貧しい者の間で拡大した経済格差を解消する鍵と話してきた。

7.(対外秘)彼が提案した漢江と洛東江をつなぐ南北運河プロジェクトに対する批判が続いている。それにもかかわらず、彼はそれを押し進めることに決めたと話してきた。「人々は全くこのプロジェクトに対して理解できていないが、しかしそれが良いアイディアならば私はあきらめてはならない」(中略)

李明博の運河プロジェクトは、韓国経済に活力を吹き込む鍵ではなかったと判明されるだろう。しかし彼が韓国国民に対する関心と尊敬を示す限り、たとえ彼が運河建設と韓国経済に実際の変化をもたらすのに失敗しても、彼はスキャンダルを克服して政治的に生き残るはずだ。

  性格と経営スタイル

8.(対外秘)現代建設で出世する過程で、李明博は能率をあらゆる物事の上に置き、とても細かく結果指向的な人だった。彼の側近は、李明博は自らインスタントコーヒーを入れたし、地位を利用して強圧的にならなかったと伝えた。彼はいかなる任務達成にも自身の能力に対して確信があったと話した。しかし、いくつかの資料によれば、李明博次期大統領は恥ずかしがりやであり、人々を自分側に引き込む際に、あまり社交的ではないとされる。李明博が前党代表であり最大のライバルである朴槿恵とハンナラ党離党者の李会昌とうまく行くことが出来ない理由を説明するのに、何人がこれを引用した。人間関係の下手さのため、彼はただ周辺の友人と親しい人々のみ信頼したと話した。

9.(対外秘)李明博の兄である李相得国会副議長と崔時仲前ギャラップ研究所会長は、李明博の政治的な頭脳と考えられる。私たちと接触した多くの人々は、強い気質を持った李明博次期大統領は、この2人からのみ影響を受けることができるだろうと伝えた。

李相得は最近会った際に「李明博はミーティングや行事にしばしば遅刻した」と話した。李相得は彼に「ビジネスマンとして遅れるのは関係ないが、政治ではすべての行事に定刻に到着しなければならないと話した」と伝えた。李相得は笑って、候補者である時に李明博はこの話を理解し始めたが、自身が相変らずしばしば時間を破らないように思い起こさせなければならなかったと話した。

  個人身上

10.(対外秘)李明博は金潤玉(キム・ユンオク)と結婚し、1男3女を得た。彼の誕生日と結婚記念日は12月19日、すなわち、大統領選挙日だ。ある古い友人によれば、李明博は彼の誕生日に結婚するよう日を選んだという。それで結婚記念日を忘れないために。

11.(対外秘)李明博の諮問団は、彼が毎日ランニングマシンの上で1時間走ると公然と話してきたが、側近は単に時間がある時にだけ運動すると伝えた。側近によれば、彼はゴルフを楽しんだし、ゴルフをできる時、ゴルフをした。 彼が外交政策に弱いという認識を弱めるために、諮問団は彼が数年間の海外出張を行ってきたし、英語で業務を遂行できると話した。しかし経験上、彼の英語は初心者水準であり、すべての業務会議で通訳を必要とするだろう。彼の英語はいかなる「廊下外交」を遂行したり、首脳会議や国際的な集まりで他の指導者たちとの雑談に参加するのには十分だろう。 それでも盧武鉉を越える意味ある進展だ。

  論評

12.(対外秘)李明博は朝鮮戦争後の急速な経済成長の産物だ。1960年代と70年代「することができる」という姿勢を持った韓国実業家と見なされる。李明博は建設王として韓国を変化させる人生を送り、韓国人は彼が韓国をより良く変えられると信じたから当選した。(中略)

彼は事業と選挙で成功する資質があることを証明した。「李明博式方法」と政治的なマヒの現実、自由な言論、そして韓国の様々な強力な非政府組織の監視の下で、彼が避けることのできない衝突を突き抜けて、成功する道を進むことができるのか見なければならない。彼の野心に満ちた計画を達成するためには、4月の総選挙で国会議席の過半数を得なければならない。そのためにまず、BBKスキャンダルに対する特検の暴風を耐え抜かなければならない。

  バーシュボウ

原文: 訳 M.S