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[キム・キュウォン記者のエジプト通信] カイロ‘勝利の警笛’… "新しいエジプト建設"

原文入力:2011-02-13午後07:54:10(1494字)

 "パンパン パパンパン!" ホスニ・ムバラクが去った12日(現地時間)エジプト、カイロ市内に入るやいなや最初に聞いた音はリズミカルな自動車の5回警笛だった。あたかも2002年ワールドカップの時に韓国人が5回の拍手を果てしなく打ったように、多くのドライバーたちがタフリール広場を中心に都市の随所で警笛を鳴らしまくった。1987年6月、韓国のタクシー運転手たちがそうしたように警笛は民主主義と自由の表現だった。

タクシー運転手 ミナ(23)はこの日夕方、カイロ ラムセス広場からタフリール広場に移動する間、音楽を最大音量にし、ひっきりなしに警笛を鳴らしばがら周辺のドライバーたちと大声で騒いだ。何の話かと尋ねると 彼は「今、本当に幸せだ。ムバラクが去ったためだ」と話した。彼に、未来はすべてがうまくいくだろうかと尋ねると、「それはよく分からない」と答えた。だが、現在の歓喜は未来の不安を覆ってなおあまりあった。

30年ぶりに‘ムバラク大統領のいない’初日をむかえたこの日、デモ隊は午前中から民主化聖地のタフリール広場の清掃に乗り出した。<AP>通信は「新しいエジプトを自身の手で作るという意志を示す象徴」と表現した。 道路のフェンスを塗っていたヒジャプを纏った少女たちの服には「不便をおかけして申し訳ありません。でも、私たちはエジプトを建設中です」と書かれた紙が貼られていた。

明るい表情の市民たちは夜遅くまで自由の空気を満喫した。この日夜、ナイル川の河岸で夫人と子供たちを連れて散歩していたイブラヒム(48)は「ムバラクが去ったことを家族と共に祝うために出てきた」と興奮して話した。やはり家族と共に出てきたユセフ イスマイル夫人も「今後、新しい指導者が腐敗しなければエジプトも韓国や日本のように発展できるだろう」と期待感を隠さなかった。

若いデモ隊の連合体である革命青年連合は、この日‘緊急措置法撤廃、民間人4人と軍人1人が参加する過渡統治委員会構成、議会解散、連立政府および改憲委員会構成’という要求条件を明文化した初の声明を発表し「革命は終わったのでなく、今始まった」と強調した。彼らは常時デモ体制を毎週1回に切り替えることを促したが、タフリール広場ではデモ隊キャンプ撤収を巡り人々の間に激烈な討論が行われた。

以前より4時間遅い0時の通行禁止が始まったが、13日明け方2時にもタフリール広場には数万人が残っていた。円形交差路に建てられたテントもそのままだった。イスマイリア ハウス ホテル前で人々はすすり泣くようなアラブ風の歌を鼓膜もはじけんばかりに鳴らし国旗を打ち振りながら踊っていた。政治集会でありながら舞踏会でもある妙な行事だった。ヒジャプを纏った女性たちも舞台の上下で男性と向い合って踊っていた。広場の北西側からは今回のデモで犠牲になった人々の写真が貼られた横断幕を掲げたり持つなりして依然として政府を糾弾していた。

カイロでは一見紛らわしく見える状況が新しい時代を創造する原動力になるのか、あるいは国を不安定にさせる原因になるかはまだわからない。それはエジプト市民と軍部の間のどこかで決定されると見られる。 カイロ/キム・キュウォン記者 che@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/463178.html 訳J.S