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ある狙撃手が打ち明けた‘殺人の追憶’

原文入力:2012/01/26 19:49(2385字)
チョ・イルジュン記者

"私が殺したのは全部悪者…そのように信じる"
しかし狙撃手の心理は複雑…トラウマも

←米国海軍の最精鋭である特殊作戦部隊(Navy Sea-Air-Land)所属狙撃手であったクリス カイルが2004年イラク、ファルージャのある建物の上層階に隠れて狙撃体制を整えている。 クリス カイルのフェイスブックとホームページよりキャプチャー

 長距離小銃の望遠照準鏡に‘標的’が入ってきた。 イラク駐留米軍海兵隊側に近づく群衆の間にチャドルを着た女性がいた。 手には手榴弾を握っていた。

 "誰かを殺そうとしたのは初めてでした。 それが男でも、女でも、他の何でも、本当にできるだろうかと思いました。 頭の中にあらゆる考えがかすめて行きました。 先ず最初に、女だ。 次には私がこの仕事をすることが正当なのか? 仕事が終わった後、家に帰れるだろうか? 弁護士が私に‘君は女を殺した。 監獄に行くつもりか’と訊いたら?"

 狙撃手はしかしそのような質問に時間を長くは奪われなかった。 指揮官が "撃てーっ" と繰り返し命令した。 ゆっくり引き金を引いた。 タン! 遠くで女が倒れ、手から落ちた手榴弾が爆発した。 「彼女が私にこういう決定をさせた。 同僚兵士たちが死ぬか、自分が彼女を除去するかの問題だから。」

 米国海軍最精鋭の特殊作戦部隊(Navy Sea-Air-Land)所属狙撃手であったクリス カイル(37)が25日、英国<BBC>放送インタビューで明らかにした初めての‘殺人の追憶’だ。 米国が大量破壊武器除去を口実にイラクを侵攻した2003年のある春の日のことだった。

 カイルは最近<アメリカン スナイパー>という回顧録を出版した。 ‘米軍史上、最も致命的な狙撃手の自叙伝’という副題がついている。 米国防総省の公式記録によればカイルは160人を標的射殺し、従来の米軍最高記録(ベトナム戦当時109人)を置き換えた。 カイルは255人を狙撃したと主張している。

 カイルは1999年米海軍に入隊する前までは故郷テキサス州オデッサのカウボーイであった。 8才の時、初めて手に銃を握り、趣味で狩猟をした。 カイルは入隊後4回イラクに派兵された。 2009年に退役するまで輝かしい‘戦功’をたてたという。 イラクの抵抗勢力と米軍が最も激烈な市街戦を行った2004年ファルージャでは40人の‘反乱軍’を射殺した。 その時からカイルは米軍に‘伝説’として知られ、現地人たちには‘ラマディの悪魔’と呼ばれた。 ラマディはイラク中部の都市で、抵抗勢力の核心拠点だった。 イラク抵抗軍はカイルの首に2万ドルの懸賞金をつけた。

←カイルが2009年イラクのある村で狙撃用小銃を持ちポーズを取っている。

 平凡な農場の青年がどうして‘冷酷な殺人機械’になり、また一人の妻の夫であり二人の子供の父親に戻ることができただろうか。 彼は本で、自身の行為に罪悪感はなく‘野蛮人’らを殺したと主張する。 「私が殺したすべての人々は全て‘悪者’らだったと堅く信じる。 私が神の前に立った時、説明しなければならないことは多いが、彼らを殺したことはそれには該当しない。」犠牲者は‘死んで当然な者’であったという確信をもって引き金を引いたという意味だ。

 しかしイスラエルの人類学者ネタ パルの研究によれば、大多数の狙撃手は標的をこのような形で非人格化するケースが他の戦闘兵よりはるかに少ないという。 「狙撃殺人は非常に遠距離からなされるが、同時に非常に私的という状況なので(狙撃手が標的に)親しみを感じたりもする。」 相手をはっきり見ることができる上に、長時間観察しなければならないケースが多いためだ。

 パルは2002~2003年イスラエル軍狙撃手30人にインタビューした。 多くの戦闘兵がパレスチナ抵抗勢力を‘テロリスト’と見なした反面、大多数の狙撃手は狙撃対象を‘人間’または‘合法的な戦死’と認識した。「(標的も)友人の愛を受け、自分も(標的が)良い人間だと確信する。 しかしこちらから見れば、狙撃は相手が罪のない人を殺すことを予防する行為であるから、申し訳ないとは感じない。」 周辺の人や社会の支持を受けることも、狙撃手が‘トラウマ’(外傷後ストレス障害)をほとんど感じない理由だとパルは語った。

 しかし1988年、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に投入され英雄になったある狙撃手は「我々はアフガン民衆を保護すると信じていたが、今はそうではない。 私の行為を恥かしく思う」と打ち明けた。 戦場でない社会で作戦を行う警察の狙撃手は軍人狙撃手よりこのような疑いやトラウマをはるかにはやく体験しうるという。

 米軍狙撃手クリス カイルは去る24日、故郷テキサス地域の新聞とのインタビューで「初めは本当に本を書きたくなかった。 すべての記憶を蘇らせなければならないことが苦痛だった。 しかし、私を格好良くしてくれた周辺同僚に賛辞を捧げるために本を書いた」と話した。

 今まで狙撃手の最高公式記録は第2次世界大戦当時、旧ソ連軍の侵攻を受けたフィンランドの狙撃手シモ ヘウィヘが立てた505人だ。 旧ソ連軍は正体不明のこの狙撃手を‘白い死’という別称で呼んだ。 ヘウィヘが雪に覆われた雪原で白色の擬装服を着て活躍したためだ。

チョ・イルジュン記者 iljun@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/516175.html 訳J.S