原文入力:2011-04-28午後10:17:08(2009字)
中産層でさえ生活苦しく民生悪化で‘次善’選択
‘憎くてもハンナラ’にした票も "今度は大統領候補ソン・ハクキュ"
イム・インテク記者、キム・キソン記者
←職業別候補支持度 & 年齢別候補支持度
ルポ/盆唐の心変わり
ソン・ハクキュ民主党代表が京畿城南、盆唐乙地方区の国会議員になった28日、盆唐、仏亭交差点には横断幕2枚が架かっていた。
"盆唐で見せてくれた民心、良い政治で報います。 ソン・ハクキュ拝" "声援に感謝します。新たに出発します。ハンナラ党 カン・ジェソプ"
二人の運命をひっくり返した民心の実体は何だろうか。ハンナラ党は敗因を‘民心離反’と簡明に説明する。ソン・ハクキュ代表に票を入れたという有権者に会ってみると、盆唐民心の底辺にはその表現だけでは説明することのできない複合要因が入り乱れていた。
キム・ヨンヒ(仮名・34・金谷洞)氏は投票率が急増したという午後1時頃、ユチョンファイン アパート敬老堂投票所を訪ね‘ソン・ハクキュ候補’に投票した。民主党を選んだのは彼の人生で初めてだ。慶北尚州出身の彼は李明博大統領を支持したし、2008年総選挙ではイム・テヒ大統領室長を国会議員にする一助となった。4才になる子供を育てている専業主婦キム氏は「盆唐に暮らせば少なくとも中産層にはなると言われていたが、物価は上がり住居価格は下がるばかり、企業収益は高いというが月給は全く変わらない、衣食住が揺らいでいる」として 「これ以上は政府を信頼できず次悪を選択した」と話した。ソウル、良才に職場がある夫(35)も退勤後の夕方7時30分‘ソン・ハクキュ’に投票した。
自身を中産層と考えて生きてきた盆唐の30・40代に物価不安と住居価格下落は無条件にハンナラ党に投じていた自身の過去と断絶する核心要因だった。
ハンナラ党がそれでも味方だと信じた50・60代は李明博大統領に対する失望感を‘心変わり’の要因に挙げた。イ・インスン(63・女・盆唐区数内3洞)氏は「今まで盆唐は‘ハンナラ党がツエをさしても新芽が出る’と言われてきたが、ハンナラ党はこの間ツエだけさしておいて遠くに逃げる形だけ見せてきた」として「民主党が良いからでなくハンナラ党のそんな態度が憎くてソン・ハクキュ候補に入れた」と話した。
カン・ジェソプ候補に入れたというイ・某(70・九美洞)氏は 「率直に言って選挙結果に物足りなさが全くない」とした。彼は「ここで15年暮らしてきたのでよく分かる。ハンナラ党がここで負けるならば豆腐の角に頭をぶつけて死ななければならないだろう」としつつ「どれほど間違ったことが多いかということだろうか」と問い直した。
‘憎くてもハンナラ党’心理が残っているこれらの人々にとって‘ソン・ハクキュ’という人物論が受け入れられた。2004年から盆唐に暮らしているというソン・某(41・九美洞)氏は「別の人が出てきてもハンナラ党候補を選んだだろう」といった。ソン氏は「有力な大統領候補という希望の余地を生かしたかった」と話した。その理由がどうであれ、盆唐乙では伝統的ハンナラ党支持層の離脱が明確だった。中央選管委が集計した4・27補欠選挙開票結果でカン・ジェソプ候補は盆唐乙8洞の内、亭子1洞だけでソン・ハクキュ候補を上回った。1万200票を得て8075票を得たソン候補を2125票差で下した。だが、イム・テヒ ハンナラ党候補と民主党キム・ジョンウ候補が対決した2008年総選挙では何と8863票(イム・テヒ1万2518票/キム・ジョンウ3655票)差で圧倒したことに比べれば、4分の1水準に過ぎず支持が急減した。亭子1洞は高級住宅商店複合アパートの密集地域で、よく‘清子洞’(盆唐の清潭洞という意味)と呼ばれる所だ。
去る総選挙と2007年大統領選挙でハンナラ党候補に平均70%内外の票を集中させた残りの盆唐洞、数内3洞、亭子2・3洞、金谷1・2洞、九美洞など7洞ではソン候補がカン候補を上回った。最小で221票(金谷1洞)から最大で1227票(亭子2洞)まで、ソン候補に票をより多く渡した。
キム・ヨンヒ氏は「ソン候補に投票しながらも当選はしないだろうと思った」とし盆唐の変化した民心をこのように伝えた。「投票する前に美術教室に行きました。子供たちを教室に入らせママ5人で話をしたが、カン・ジェソプ候補を支持するという人は一人もいませんでした。本当に驚きました。」 盆唐/イム・インテク、キム・キソン記者 imit@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/475508.html 訳J.S