原文入力:2011-04-26午後10:25:14(1862字)
就職不安で挫折も "5月世代 意味忘れないよう"
明智大で追慕文化祭 開く
イ・スンジュン記者
←‘カン・ギョンデ烈士 20周忌追慕祭’が26日夕 ソウル、西大門区、南加佐洞の明智大国際会議場で開かれ参加者が行事場所に用意された追慕台に献花している。キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
カン・ギョンデ20周忌…‘烈士奨学金’学生たちが見た現実
明智大経済学科2学年キム・ガンミン氏は1991年3月25日に生まれた。一ヶ月後の4月26日、明智大経済学科1学年カン・ギョンデ氏は‘白骨団’と警察の強硬鎮圧により亡くなった。その年の5月。絶望に陥った若者たちは相次いで自分のからだを燃やし、5月25日には成均館大仏語仏文学科4学年キム・グィジョン氏も警察のデモ鎮圧過程で命を失った。キム・ガンミン氏にとって20年前の4~5月はただ遠い昔の話だったが、今はその意味が新しく迫ってきている。
10年度入学生として大学に入学したキム氏は昨冬ずっとアルバイトに励んだ。午前には洗濯物の配達、午後には町内スポーツセンターの清掃の仕事をし、夕方にはビヤホールで働いた。2ヶ月間で150万ウォン余りを稼ぎ今年1学期の授業料の足しにした。彼は「共稼ぎする両親の負担を少しでも減らして差し上げたかった」と話した。
26日、ソウル明智大学校で会ったキム氏は「20年前には目に見える暴力が人を殺したとすれば、今は目に見えない社会構造が20代を責め立てているようだ」として「カイストの学生たちや授業料のために命を絶つ学生たちを見よ」と話した。彼はこの日、学校で開かれた‘カン・ギョンデ烈士20周忌追慕文化祭’で友人二人と共に各々70万ウォンの奨学証書を受け取った。1997年から‘カン・ギョンデ烈士追悼事業会’が支給し始めた‘カン・ギョンデ奨学金’はこれまでに40人余りの後輩が受け取った。
昨年、好奇心で学生会の‘カン・ギョンデ烈士追慕行事’の準備を手伝った彼は、今年も追悼事業準備に参加した。「過去は過去に過ぎない」という周囲の友人らの話と「20年前の先輩たちとは違い個人だけを考える」という既成世代の視線に、彼は「カン・ギョンデ烈士は過去であると同時に現在・未来なのではないかと思う」と話した。キム氏は「20代が授業料と就職不安の中で挫折に陥ったのが事実」としながら「反対に、現在こそ変えていかなければならないということをカン・ギョンデ烈士が投じているのではないか」と問い直した。彼は「だが、私もやはり来る8月に軍に入隊することと未来の就職が一番の心配」として笑った。
この日夕方、明智大国際会議場で開かれた‘カン・ギョンデ烈士20周忌追慕文化祭-1991年から2011年まで’という20年の歳月を跳び越えて、1991年の20代と2011年の20代、彼らの現実と悩みを見て回る席になった。
カン・ギョンデ氏と同時代を生きた90年代入学年度たちと10年度入学生以後の大学生らの話が交差したドキュメンタリー映像の中で、先輩たちは「社会的に抵抗する個人と労働者という意味でキョンデの精神は今と一脈相通じる」とし、後輩は「授業料のために自殺する学生たちの話が他人事のようではない。カン・ギョンデ先輩の精神が今も意味があるのではないだろうか」 とうなずいた。キム・ヒョン明智大総学生会長は追悼辞で「烈士が去り20年が過ぎた今、噴き上がる授業料と無限競争の中であまりにも多くの青春が光を奪われている」と強調した。
この日の追慕祭にはカン・ギョンデ氏の91年度入学生同期たちをはじめペク・キワン統一問題研究所長、イ・ガンシル韓国進歩連帯常任代表、チョ・スンドク民主化実践家族運動協議会会長など市民社会の要人と市民350人が参加した。カン・ギョンデ氏の母親イ・トクスン(63)氏は「この席に共にした方々のおかげで私たちの家族がここまで来れた」と感謝を伝えた。
この他にもこの日の行事は明智大在学生80人の合唱と<カン・ギョンデ評伝>献呈行事、合唱団ウリナラと歌手アン・チファン氏の公演などが続いた。
イ・スンジュン記者 gamja@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/475007.html 訳J.S