原文入力:2011-02-28午前09:06:16(1150字)
民族問題研、チ・チョンチョン光復軍総司令官 日記 初公開
明日から日本で独立運動資料など80点余り 巡回展示
キム・ミンギョン記者
←チ・チョンチョン(1888~1957)将軍
"午後2時に慶会楼で(李承晩大統領2代大統領就任式)宴会があったが参加しない。万民が飢餓状況なのに30億もの費用をかけてソウルで挙行するということには賛成できない、豪華なものだ。" (1952年8月15日) 臨時政府の光復軍総司令官を務めたチ・チョンチョン(1888~1957・写真)将軍が書いた日記が初めて公開される。1951年1月1日から息をひきとる直前の1956年12月11日まで、チ将軍の思いが記録されている。
民族問題研究所は日本、京都の立命館大学で来月1日から開かれる展示会‘巨大な監獄、植民地朝鮮に生きる’で将軍の日記と光復軍活動の写真などを含む遺物を公開すると27日明らかにした。
今回公開される日記からは当時の李承晩政府に批判的なチ将軍の認識を垣間見ることができる。チ将軍はイ大統領の就任式が贅沢だと批判するかと思えば、独立活動家を無視した人事政策も指摘した。「国政監査の報告を見れば、各部署の誤りが山積み、官吏の強欲は満天下に充満し、非民主的なこと一再ならず…大統領の人事術が愛国者・革命家・大物を忌避し絶対不登用であることに起因するということは世人が皆知っている。" (1951年5月1日)
また、他界する1年半前にはすでに具合が良くないということを書いている。 「このごろは息が苦しいことも楽になったし、食欲もあり食事もちゃんとできていて幸いだ…今年で68才、死んでも惜しくない齢なのに、また生き返っておそらくは残った独立運動を完成するということのようだ。" (1955年8月29日)
チ将軍は1908年、大韓帝国陸軍武官学校に入学したが翌年 統監部の圧力で廃校になり、日本、東京に渡り日本陸軍士官学校を卒業した。だが、中尉進級の後、1919年満州に亡命し新興武官学校の隊長と光復軍総司令官を務めた。
今回の展示にはチ将軍の娘 チ・ポギョン(1920~2007)氏の未刊行自叙伝遺稿をはじめ義兵げき文、独立宣言書など独立運動資料、徴兵・徴用で連行された人々の手紙など80点余りが紹介される。民族問題研究所は大阪、東京、広島などで巡回展示を計画中で、日本語版図録も発刊する予定だ。
キム・ミンギョン記者 salmat@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/465626.html 訳J.S