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30年かかったスパイ寃罪晴らし…‘息子・孫娘の名誉のために’

原文入力:2011-01-13午後08:11:06(1761字)
‘在日同胞スパイ事件’イ・ホンチ氏 再審で‘無罪’
81年 臨月の妻とともに連行
生れたばかりの息子を担保に拷問・懐柔
無期懲役受け 15年 獄中生活
"二才の孫娘まで‘スパイ’烙印…恐かったが再審申請 勇気出す"

キム・ミンギョン記者

←30年ぶりになされた再審で無罪を宣告されたイ・ホンチ(右側2番目)氏が13日午前、ソウル、瑞草洞、ソウル高等法院で在日同胞捏造スパイ事件被害者たちと共に歩いている。 右からユン・ジョンホン氏、イ・ホンチ氏と夫人パク・ジョンスク氏、キム・ドンフィ氏と夫人ソン・ジョンジ氏。 キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr

判事が無罪を宣告するとイ・ホンチ(59)氏は "ありがとうございます" として頭を下げた後 法廷を出た。
 "シマイダッタ(みな終わった)" イ氏がやや低く話し夫人パク・ジョンスク(55)氏を抱きしめた。

 "苦尽甘来(訳注:苦は楽の種)ですね" 応えるパク氏の目に涙が溜まっていた。

ソウル高等法院第9刑事部(部長 チェ・サンヨル)は13日、在日工作指導員に抱き込まれ国内に入ってきてスパイ活動をした疑惑(国家保安法違反)等で無期懲役刑を宣告されたイ氏の再審で無罪を宣告した。

1952年、日本で生まれたイ氏は大阪で大学を終え、77年に韓国に来た。日本で体験した差別がひどかったためだ。79年には三星電子に特別採用され、80年にはパク氏と出会い結婚した。81年、国軍保安司令部(現 国軍機務司令部)は‘イ氏が日本で工作員に抱き込まれた’という理由で連行し、19日間にわたり不法拘禁と拷問をした。

保安司の拷問に遭った当時、イ氏は思い出すことさえはばかられることを体験した。当時、臨月だった妻は令状なしで保安司に連行され7日間にわたり不法拘禁され、破水し急遽病院に運ばれ息子を産んだ。保安司捜査官らは生まれたばかりの息子をたった5分間だけ見せ、イ氏に「子供をはやく見たければ自白しろ」と脅迫した。イ氏の兄が「刑量を割り引いてやる」という保安司の懐柔に乗せられ裁判でイ氏のスパイ行為を述べる悲惨な状況も見守らなければならなかった。

82年、ソウル刑事地裁の死刑宣告を受けたイ氏は刑務所で2度の自殺を企てた。ソウル高等法院と大法院を経て無期懲役を宣告されたイ氏は96年の光復節特赦で仮釈放されるまで「息子の顔を見たい」という思いで収監生活に耐えた。2007年、国防部過去史真相究明委員会は「イ・ホンチと関連者らの陳述は強要された可能性を排除できず、有罪と認定される合理的な証拠が不充分だ」という結論を下した。

糾明委のこういう決定にも拘らず、イ氏は依然として自身の人生を根こそぎ奪た韓国政府に特別な期待を持てなかった。それでもイ氏が再審申請を決心したのは、息子夫婦が昨年産んだ孫娘のためだったという。息子には苦労をさせたが孫娘だけには‘スパイ家族’という烙印を取ってあげたかった。

仮釈放された翌年の97年、イ氏は家族たちを連れて愛想が尽きた韓国を去り日本へ行った。だが、当時 中学校の卒業クラスだった息子は慣れない国に適応するために父親を恨んだという。息子は昨年、初めて「お父さんが頑張って再審を必ず受けなければならない」と応援の言葉をかけた。
イ氏は「私をスパイにした全斗煥前大統領が生きていて、民主化されたと言ってもむやみに出て行き被害に遭うのではと心配だった」として「遅くなったが家族の名誉を回復させてあげることができてよかった」と語った。

今回の再審無罪で彼の恨が全て解けた訳ではない。「私のような人が日本に100人以上います。ところが韓国政府はそのような人がいること、そのような事件があったということさえ、よく知りません。在日同胞スパイ捏造事件犠牲者とその家族の名誉を回復しなければなりません。」

キム・ミンギョン記者 salmat@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/458667.html 訳J.S