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‘慰安婦被害者’シム・タリョン 花ハルモニ 逝去

原文入力:2010-12-06午後08:15:59(1181字)

パク・ジュヒ記者

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‘花を愛するシム・タリョン’と呼ばれた日本軍‘慰安婦’被害者ハルモニ シム・タリョン(写真)氏が去る5日 死亡した。享年83。シム氏は去る6月末から肝臓癌で闘病していたが、この日夕7時50分頃 入院中の大邱、中区のクァク病院で甥(姪)と甥(姪)の孫、‘挺身隊ハルモニと共にする市民の会’会員10人余りが見守る中で永眠した。

1927年、慶北、漆谷郡で生まれた故人は13才の頃、姉とともに山菜を採りにでかけ日本軍に捕えられ、台湾の慰安所に連行された。そちらで加えられた暴力と苦痛で心の病気になった。解放後に帰国したが何も記憶できず言葉まで失った。幸い妹がハルモニを覚えていて家に連れてきて世話をした。徐々に記憶を取り戻したが、当時の暴力の後遺症で子宮頸部癌の手術まで受け、あらゆる病気に苦しめられた。

だが、シム氏は苦痛に耐え、奪われた人権を取り戻そうと勇気を出し世の中に出、慰安婦問題解決に証人として、活動家と先頭に立った。第61次国連人権委員会本会議と国際NGOフォーラムで日本政府が慰安婦被害者たちに慰労金を与える代わりに免罪符を得ようとして作った‘女性のためのアジア平和国民基金’の不道徳性を世の中に知らせた。国連人権高等弁務官に日本の国連常任理事国進出に反対する国内外20万人の署名を伝える際にも行動を共にした。

ハルモニの最後の生涯は花と共に暮した。7年前から花を育て心の傷を治癒する‘園芸治療’を受け、押し花作品を作った。花作品展示会も開き、米国で開かれた展示には全世界の活動家たちに平和のメッセージを込めた作品で感動を伝えた。「花が好き。花に触れていれば何の心配もなくとっても良い」と言った彼女は子供の代わりに捺し花作品を世の中に残した。病床でも彼女は「他の人々と同じように暮らすこともできなくて、あまりにも無念だ。私が生きている内に日本政府が謝罪するのを必ず見なければならないのに…」と言われ、人生に対する愛着を示した。

故人は生前に望んだとおり、去る1月に先に去ったキム・スンアク ハルモニが眠っている慶北、霊泉の銀海寺で樹林葬で安置される。‘生存’自体が‘歴史の証言’になる被害者ハルモニたちは、もう81人だけが生存している。今年だけで6人が息をひきとった。出棺は7日午前10時、クァク病院葬儀場。(053)257-1431.

大邱/パク・ジュヒ記者 hope@hani.co.kr,写真 挺身隊ハルモニと共にする市民会 提供

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/452442.html 訳J.S