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時代の実践的知識人 リ・ヨンヒ先生 逝去

原文入力:2010-12-05午前07:42:55(1331字)

←リ・ヨンヒ前漢陽大教授

私たちの時代の‘実践的知識人の表象’であり‘大きな言論人’だった リ・ヨンヒ前漢陽大教授が5日逝去した。享年81。持病でソウル、中浪区、面牧洞も緑色病院に入院していたリ教授はこの日午前0時30分頃、病院で家族と知人が見守る中で目をとじた。

彼の一生は‘反知性に対抗する激しい戦いの歴戦’だった。勤めていた報道機関と大学から各々2回ずつ解職され、計5回拘束された。1980年に新軍部が‘光州騒擾背後操縦者’の1人として彼を指名・投獄した時、フランスの日刊紙<ルモンド>は、リ前教授を‘メトゥル トゥ パンセ’(思想の恩師)と呼んだ。

1929年、平安北道、雲山郡で生まれたリ前教授は57年<合同通信>外信部記者として言論人の人生を歩み始め、64年から71年まで<朝鮮日報>と合同通信の外信部長として仕事をした。69年にベトナム戦争派兵批判記事を書き、朝鮮日報から追い出され、‘軍部独裁・学院弾圧反対64人 知識人宣言’に参加した71年には合同通信から解職された。 漢陽大教授として在職した76年と80年にも各々、朴正熙政権と新軍部の圧力により教授職を剥奪された。リ前教授は88年<ハンギョレ新聞>創刊当時、理事および論説顧問を引き受けた。北韓訪問取材を企画した89年には国家保安法違反疑惑で拘束・起訴され懲役1年6月を宣告されて160日間服役した。

行動する知識人としての彼の武器は‘観念’ではなく‘事実’であり、‘理論’ではなく‘実践’だった。彼は文を書くことを "偶像に挑戦する理性の行為" と定義した。‘鳥が左右の羽で飛ぶようだ’、彼はただ真実と均衡の翼で理念的ドグマに抵抗した。彼の本<転換時代の論理>(1974)と<偶像と理性>(1977)は、反共イデオロギーが隠したベトナム戦争の実体と中国の現実を正直に表わし当代の代表的禁書として弾圧された。

朝鮮日報とハンギョレで一緒に仕事をしたイム・ジェギョン前ハンギョレ新聞社副社長は 「リ前教授は米国が作り出したニュースで世の中を眺めていた時代に、南北問題と外交問題およびベトナム・中国問題で独自的探求と分析を土台に勇気ある記事を書いて出した」として「韓国戦争後、私たち報道機関で類例を探し難い独歩的言論人」と評した。

2000年に脳出血で倒れ、右半身が麻痺した後にも時代を憂う彼の発言は停まらなかった。今年のはじめ、肝硬変で健康が急激に悪化して以降は病院と家を行き来し治療に専念してきた。自身の「本が一冊も売れなくて印税が0ウォンになることが願い」と言っていたリ前教授は、彼の本が必要な社会が終わる様をついに見れないまま この日 息をひきとった。遺族には夫人ユン・ヨンジャ氏と息子ゴンイル、ゴンソク氏、娘 ミジョン氏がいる。

葬儀室は新村セブランス病院に用意された。

イ・ムニョン記者 moon0@hani.co.k

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/452177.html 訳J.S