原文入力:2010-08-22午後10:25:21(1406字)
日本‘かにた婦人の村’天羽道子 修道女
キル・ユンヒョン記者
←5日午後、日本、千葉県、館山市のかにた婦人の村教会で、2010韓中日青少年歴史体験キャンプ参席者たちが天羽道子 施設長の講演を聞いている。館山/キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
84年に施設を設立した牧師に告白
天羽修道女、青少年歴史キャンプで
"皆さんは彼女たちの苦痛に知らぬフリをしないことを"
"韓国と中国の若い学生たちは従軍慰安婦に対してどれくらい知っていますか?"
日本、千葉県の南西端 館山市にある婦女子保護施設‘かにた婦人の村’の天羽道子(84・写真)修道女は去る5日、青少年歴史体験キャンプに参加した韓・中・日3ヶ国の学生たちを前に慈しみあふれる表情で尋ねた。
彼女がこの話を取り挙げた理由は、太平洋戦争当時 日本軍慰安婦の実体を糾明するための長い戦いに於いてこの村が占める独特の位置のためだ。この村は1957年日本で売春防止法が施行された後、社会に適応できない脱売春女性たちを世話するため75年に誕生した。
"この村に城田すず子(仮名・1921~93)という女性が暮らしていました。彼女は自ら慰安婦だったことを証言した最初の日本人女性です。"
城田は84年、村の設立者である深津文雄牧師(死亡)に自身が慰安婦として言いなりになり加えられた記憶について打ち明けた。城田の告白は91年の最初の韓国人慰安婦証言者であるキム・ハクスン(1924~97)ハルモニより7年も前に出たのだ。以後、韓国・中国・フィリピン・台湾・オランダなど慰安婦被害女性たちの証言があふれ出て、これは慰安婦を募集・運営する過程で93年日本政府が直間接的に介入したことを認める‘河野談話’に繋がった。
天羽修道女は「深津牧師は証言を聞き衝撃を受け、1年間眠ることができないほどだった」と話した。2年後の86年、深津牧師は慰安婦として亡くなった女性たちの魂を慰めるために村に‘噫(ああ)従軍慰安婦’と刻んだ石碑をたてた。村の教会堂から丘の上側に出る小さな小道に沿って10分ほど登れば‘鏡ヶ浦’と呼ばれる館山湾の穏やかな景色が繰り広がっているが、その一隅にこの石碑が立っている。
しかし日本で‘第2の城田’は現れなかった。なぜだろうか? 天羽修道女は「日本では慰安婦に対して‘お金が必要で行ったのではないか。だから自分の責任ではないか’このような形で考える風土が強い。そのような環境の中で、自らが慰安婦だったという事実を告白することは容易でなかっただろう」と話した。
彼女は続けて「日本政府は今でも慰安婦として苦痛を受けた女性たちに謝罪と補償をしていないが、戦争を体験した世代はすでに老いて声がますます小さくなっている」として「若い世代が今からでも過去の歴史に対して関心を持ち平和な東アジアを作れば良い」と話した。
館山/文 キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr
写真 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/436257.html 訳J.S