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国恥現場に国恥と関係ない標示石?

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/435752.html

原文入力:2010-08-18午後10:01:17(1012字)
ソウル市‘統監官邸跡’でなく‘鹿川亭 跡’に決める模様…市民団体 反発

キル・ユンヒョン記者

100年前、日本と大韓帝国の間に強制併合条約が調印されたソウル、南山統監官邸跡に建てることになる標石の名前が‘統監官邸跡’ではなく‘鹿川亭 跡’に決まる展望であり論難が予想される。

ソウル市は18日、標石設置諮問委員会を開き、関係専門家たちの諮問を聞いた結果、標石の名前として‘統監官邸跡’より‘鹿川亭 跡’が適当だという意見が多く、これを土台に標石設置のための資料検討に入る予定だと明らかにした。

鹿川亭は朝鮮哲宗の時、領議政を務めた文臣 朴永元が1851年に建てたと伝えられる亭子で、1984年頃この場所に日本公使館が建つ中で撤去されたと推定される。公使館は以後、統監官邸(乙巳条約以後),総督官邸(併合条約以後)等と名前が変わった。この日の諮問委に参加したチョン・ウヨン ソウル大病院病院歴史文化センター研究教授は「南山で最も景色が良かったと伝えられるこの場所の標石を鹿川亭とすれば、日本が韓国の明堂(訳注:風水説で非常に良い場所)を占めた歴史的脈絡を示すこともできる」と話した。

だが、100を越える韓国・日本市民団体が集まって作った強制併合100年共同行動韓国・日本実行委員会は国恥日の来る29日、この場所に‘統監官邸’という標石を設置する計画だった。

統監部の場所の正確な位置を考証した歴史研究者イ・スンウ氏は「鹿川亭がこの場所に建った初めての建物でもあるだろうが、この場所が歴史的意味を持つのは、ここで恥辱的な併合条約が締結されたという歴史的事実のため」として「鹿川亭 跡という名前はとても唐突で没歴史的だ」と話した。

パク・ハンヨン強制併合100年共同行動韓国実行委員会共同執行委員長も「私たちが統監官邸の場所性に注目するのは、強制的で不法的に締結した辛い歴史を記憶しようということ」として「国恥100年を迎え歴史を正そうとする韓国・日本市民たちの努力がしきりにおかしな方向に流されている」と批判した。

キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr

原文: 訳J.S