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朴槿恵・野党圏 次期走者に対抗馬として

原文入力:2010-08-08午後07:56:45(2009字)
キム・テホ総理候補 抜てき 背景
慶南道議員・居昌郡守・道知事を経て
‘4大河川事業 伝導師’…MBと‘コード’合致
‘パク・ヨンチャ資金’関連有無 聴聞会 関心

ソン・ウォンジェ記者、チェ・サンウォン記者

←新国務総理候補者に内定したキム・テホ前慶南知事が8日午後、ソウル、光化門の自身の事務室で記者会見を終えた後、事務室を出て手をあげ挨拶している。キム総理候補者は、1971年キム・ジョンピル前総理以後 39年ぶりの40代総理の席につくことになる。カン・ジェフン先任記者 khan@hani.co.kr

キム・テホ(48)国務総理候補者は8日 "農民の息子、牛飼いの息子として生まれた田舎者" と自身を紹介した。実際、彼の経歴は立志伝的だ。彼は貧困のために中学校を終えるや農作業をするつもりだったが、"農薬壜に書かれた英語くらいは読めなければならない" という父親の説得で居昌農高に入学した。

ソウル大農学部在学の時、父親と縁のあるキム・ドンヨン前国会議員の家に下宿しながら政治に接し、軍除隊後の1992年にイ・カンド当時民自党議員の選挙キャンプに合流し政治人生が始まった。

1998年慶南道議員に当選し、2002年には全国地方自治体長最年少で居昌郡守になった。また、郡守当選2年後の2004年6・5補欠選でやはり全国最年少で道知事になった。2006年には知事再選に成功した。

彼は去る1月25日、出馬さえすれば3選再任に問題なく成功するという予想を裏切り慶南道知事選不出馬を宣言した。当時、彼は<ハンギョレ>とのインタビューで 「道知事2回目任期を務め、ある瞬間 大韓民国が私の胸に入ってきていることを感じた」という意味深長な話をした。彼は最近ある地域言論とのインタビューで尊敬する政治家として‘40代旗手論’を掲げた金泳三・金大中前大統領を挙げ、大統領選挙挑戦に対する意志を示した。この日も記者懇談会で「(釜山・蔚山・慶南地域の)キム・テホに対するこの上なく大きい信頼と期待が今日の私を作った」として、何時の間にか自身が次期走者になっていた。

総理候補者に指名されたことにより、彼は中央舞台に成功的に進入した。彼の指名にはいくつかの政治的意味が付与されている。まず朴槿恵前ハンナラ党代表に対抗できる親李明博系対抗馬の一人として彼が選択されたという分析が出てくる。李明博大統領は若くて斬新な彼のイメージと、相次ぎ選出職を経験し行政能力を認められた点を高く評価したと知られた。

キム候補者と同様な政治経歴を持つキム・ドゥグァン慶南知事など野党圏次世代走者らに対する牽制の意味もあると見られる。イ大統領は去る6・2地方選挙直後、大統領府参謀たちに「与党にはなぜイ・クァンジェ,アン・ヒジョンのような人がいないのか」とし、与党にも‘若さ’と‘挑戦精神’が要求されるという点を強調したという。キム候補者が‘4大河川事業伝導師’という話まで聞くほどにイ大統領と‘コード’が通じるという点も反映された選択と見える。彼は2008年5月に大統領府を訪問しイ大統領に洛東江運河の必要性を建議することもした。

彼の前には国会人事聴聞会という関門が待っている。この席で後半期の政局主導権を逃すまいとする野党圏の猛攻が予想される。特にキム候補者は慶南知事在職時、パク・ヨンチャ前泰光実業会長から金を受け取った疑惑で検察調査を受けた事実がある。当時、無嫌疑処分を受けたものの、最近ではホン・ジュンピョ ハンナラ党最高委員が「パク会長に金を受け取った疑惑のために道知事選挙に不出馬を宣言したのに、どうして総理をするのか」と再度疑惑を提起した経緯がある。キム候補者は8日「おそらくそれと関連した内容が言論で300ヶ以上出てきたと思う。明らかなことは2010年の大韓民国の水準では、私がしたとすれば、それを隠すことはできないだろう」と否認した。

南北関係に対する彼の態度は交錯している。彼は知事時期に統一イチゴ栽培、平壌小学校建設など対北韓支援事業を積極的に行ったうえに、直接 北韓を訪問した経験まである。だが、昨年6月3日、馬山室内体育館で開かれた民族統一全国大会では 「去る左派政権10年の間、皆さんどれほど苦労がたえませんでしたか。私たちは去る10年間、統一政策に多くの努力を傾けたけれど、私たちに帰ってきたものは核爆弾だけです」として、保守理念に偏向した発言をし批判を受けることもした。
ソン・ウォンジェ記者、昌原/チェ・サンウォン記者 wonje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/434033.html 訳J.S