「私は養子縁組で姉を失い、母を失い、そして自分自身までが引き裂かれたという事実を語ることにしました。私たちにとって海外養子縁組は答えではなかったことを伝えるためです」
自身のエピソードを韓国語で語り続ける間、これまで笑顔を絶やさなかったカムラ(KAMRA)韓国支部のミキ・フリッペン(Meeky Woo Flippen)代表が涙声で語った。米軍兵士だった父親と韓国人の母親の間に生まれた「混血」(国際児)の彼女は、「純血主義」を掲げる政府方針のもと、13歳で米国に養子縁組された。
ミキ代表を含め「混血児」として海外養子縁組された5人が30日に記者会見を開き、真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)に真実究明(被害認定)を申し立てた。生まれた国と家族から半ば強制的に引き離された過程の凄惨な実態を明らかにし、責任を追及するためだ。これまで真実和解委には海外養子縁組の真実究明の申立てが相次いだが、主に米軍基地周辺で生まれた「混血児」として海外に養子縁組された人が真実和解委員会の門を叩いたのは今回が初めて。ハンギョレは、彼らが自らを説明する表現を尊重し、(報道基準に測せず)「混血」という言葉をそのまま使う。
ミキ代表は、韓国政府と社会福祉機関が混血児の海外養子縁組を執拗に促したと明らかにした。ミキ代表は「ある日、ホルト(児童福祉会)で社会福祉士という女性が自宅を訪れた。私たちを米国に行かせた方が良いと言われ、母親は反対したが、女性は毎週来て『なぜ子どもにこんな苦労をさせるのか』と母を非難した」と伝えた。さらに「姉に付きまとい、『米国に行くと、なんでも食べられる』とそそのかし、それを聞いた姉は(米国に行きたいと)母にせがみ始めた」と当時を振り返った。
姉は米国に養子に出されたが、養親の虐待に苦しみ、その知らせを聞いた母親は衝撃で倒れたのち亡くなった。その後、ミキ代表も米国の家庭に養子縁組された。
韓国政府がこの過程に組織的に関与したという主張もある。「未婚の母アーカイビングと権益擁護研究所」のクォン・ヒジョン所長は、「1954年、米国国務省は韓国国内の『国際児』全員を米国へ移住させる方針を示し、同年、李承晩(イ・スンマン)政権はそれを推進するために韓国児童養護会を設立した」とし、「海外養子縁組が始まってわずか6年で、4千人以上の『国際児』が自分の生まれた土地を離れざるを得なかったが、その多くはすでに母親が育てていた子どもたちだ」と指摘した。当時行われた海外養子縁組は個人の選択によるものではなく、国家政策と社会構造が作り出した「強制移住」に近いという指摘だ。
海外に養子縁組された「混血児」の真実究明申立書には、養子縁組前に滞在していた保護施設「聖願先施五(Vincentiusの韓国式漢字表記)の家」で起きた児童性暴力被害者の証言も含まれている。仁川(インチョン)・富平(プピョン)にあるこの施設は、メリノール宣教会員所属の神父が1970年代に設立し運営していたが、そこでは子どもたちに対する常習的な性的暴行や暴力が行われていたという。ミキ代表は「神父が酔っ払って子どもたちを一人ずつ呼び寄せ、体を掴んだまま離さなかった」と語り、「怖い神父に連れていかれるのを恐れ、男の子たちも夜、スクラムを組んで寝ていた」と伝えた。
カムラなどの海外養子団体が集まる「トレース海外養子・児童権利真実究明連帯」は、「済州4・3の祭壇で李在明大統領が国家暴力犯罪に関しては公訴時効・消滅時効を廃止すると宣言した」とし、海外養子縁組に伴う人権侵害についても国家の公式な謝罪と被害者の実質的な回復・支援策の整備を求めた。
先月26日に発足した第3期真実和解委員会は、国家や地方自治体が直接運営・支援し管理した社会福祉施設、養子縁組斡旋機関、集団収容施設で発生した人権侵害事件を調査対象として明記した。