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検察、自白懐柔・証拠かけはぎ‘どん詰まり捜査’

原文入力:2010-07-22午後09:41:15(1962字)
2年半 汚名… "検察の思い通りに言葉を合わせるのは難しかった"
捜査引き受けた水原地検 "真相把握後 立場 明らかにする"

ホン・ヨンドク記者,キム・ナムイル記者

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野宿10代‘殺人疑惑’最高裁で無罪確定
チョさんは‘2万ウォンを盗んだ’として同じ野宿少女を京畿水原のある高校に連れて行き、殴って死なせた疑惑(傷害致死)で他の野宿青少年の友人ら4人と共に2008年1月30日、水原地検麻薬・組織犯罪捜査部(部長 キム・ハクソク)により拘束された。当時、捜査はパク・ジェヒョン検事が引き受けた。チョさんら4人は1審裁判で主犯として拘束された路上生活者チョン・某(31)氏など2人と共に懲役2~4年の実刑を宣告され、1年間 永登浦拘置所で服役し昨年1月控訴審で無罪を宣告され解放された。

22日大法院1部(主審 キム・ヌンファン最高裁判事)はチョさんなど4人の無罪を最終確定した。裁判所は「これらの人々は自白したが、1審公判以後一貫して犯行を否認しており、家族や保護者の助けを受けることができなかった」とし「捜査過程で他の被告人(友人)らがすでに自白したと誤認したり、検事が自白すれば善処を受けることができると話した点などに照らし、検察での自白は信憑性が疑わしい」と無罪理由を明らかにした。2年6ヶ月ぶりだ。この日の大法院確定判決に対して、ユン・ガプクン水原地検2次長は「判決文を見て真相把握をした後に公式立場を出す」として言葉を慎んだ。

■無実の罪に陥れた検察捜査
初めからチョさんらの傷害致死疑惑には客観的証拠がなく、これらの自白を含む‘被疑者尋問調書’だけがあった。検察は当時出した報道資料で「10代の捜査で適法手続きを遵守し、全過程の映像録画もした」と自慢した。だが、1審裁判時は映像録画記録は提出されないままチョさんなどの被疑者調書だけが提出された。弁護人は控訴審裁判の時から証拠物として1審から抜けた検察の映像録画装置を証拠物として申請し、提出された映像録画装置には自白懐柔、かけはぎ捜査、不利な陳述除去など検察の無理な捜査過程がそっくり含まれていた。

映像録画装置内容を見れば、検察は事件現場に行ってみたことがないチョさんらが現場の姿をきちんと説明できないとして写真を提示した後 「私が写真を見せるから記憶を甦らせてみろ。学校の門はこうなっていたよ、どこから入った」として、事件の細部情況と情報を提供し、これらの陳述を誘導したことが明らかになった。だが、映像録画に含まれたこういう事実は陳述調書では大部分除かれていた。

また、チョさんらは、調査過程で全て一貫して犯行を否認していた。キム・某(当時16才)君は捜査官に「していないことをしたということはできません…嘘探知機もありますね。それも使ってみて下さい。アーあまりにもくやしくてやってられません」と絶叫した。検察はしかし、こういう内容も全て陳述調書から除いた。検察の執拗な絞り込み合わせにチョさんは「検察が要求する通りに話を合わせてあげるのが本当に難しかったよ」と言った。当時チェ・某(当時19才)君は 「他の友人がみな自白したが君だけしなければ加重処罰を受けると捜査官が話し、自白したけれど後で見ると友人たちも皆 私のような脅迫・懐柔を受けていた」と話した。

■回復できない傷
無罪判決が出たこの日、カン・某(当時18才)さんは<ハンギョレ>記者に会って涙を流した。両親が離婚した後、父親と暮らしていて、中学校2学年から家出を始めたカンさんは「面会に来たお父さんがそれでも私を信じてくれましたが、大法院判決を見ずに昨年12月に亡くなった」と話した。ネットカフェや憩い場でわけも分からないまま検察庁に捕まった後に始まった去る2年半は、これら青少年にとっては‘地獄’だった。京畿道庁少年相談支援センター チョン・ブスン相談員は「これらは表面では大丈夫そうに見えるが、今回の事件を体験した後、より一層社会に適応することに困難を感じている」と話した。

国選弁護人として初めからこの事件を受け持ってきたパク・ジュンヨン弁護士は「家族の解体で保護膜を失った子供たちは、保護者や弁護人の助けを受けられずにいたし、検察は彼らを相手に組織暴力団式捜査で虚偽の自白を引き出した」と話した。 水原/ホン・ヨンドク記者、キム・ナムイル記者 ydhong@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/431632.html 訳J.S