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「特戦司でも耐えたのに」…梨泰院惨事、あの日に閉じ込められた消防士たち

登録:2025-08-19 01:35 修正:2025-08-19 08:48
ソウル麻浦消防署の救助隊員として現場に出動…トラウマで退職
2022年10月29日夜、ソウル龍山区の梨泰院惨事の現場に、死者を移送するため救急隊員らが待機している/聯合ニュース

 「私は軍も特殊戦司令部出身なんです。自分では精神力が強いと思っていたんですが、梨泰院(イテウォン)惨事以降はそんなことは役立たず、とても苦しかった」

 ソウル麻浦(マポ)消防署の救助隊員だったKさん(48)は18日のハンギョレの電話取材で、梨泰院雑踏惨事を回想すると、まともに話が続けられなかった。Kさんは2022年10月29日の梨泰院惨事発生後、現場に出動して救助業務にあたった。翌朝6時まで救助活動は続いたが、事実上Kさんの仕事は犠牲者の遺体運びだったという。Kさんは「80~90体の遺体を休む間もなく一カ所に運んだことが、今も鮮明に記憶に残っている。その後もその場面が(写真のように)記憶から消えず、とても苦しかった」と話した。

 Kさんはその後、休職し、1年後に救助隊員として復職した。しかしKさんは、救助の手を待つ現場に出動するたびに梨泰院惨事の記憶がよみがえり、耐えられなかったと語った。結局、Kさんは3カ月後に再び休職届を出した。さらに1年休んだが、ついにトラウマから抜け出せず、復職初日に退職を決意した。3人の子の父親であるKさんは、家族と離れて釜山(プサン)で日雇い労働者として建設現場で働いている。

 Kさんは「(梨泰院惨事後)出勤するたびに胸がとても苦しくてつらかった。眠れなかった。自ら努力して克服できるものではなかった。消防士として働いていた時より経済的には大変だが、消防関連の仕事はもうしたくない」と話した。Kさんを20年近く見守ってきた知人のPさんは「(Kさんは)梨泰院惨事の支援に行ってから、人が変わってしまった。コバエが死んでしまうからと言って自転車にも乗らなかった。1カ月間まともに眠れず本当につらそうだった」と語った。

 Kさんは退職する過程で梨泰院惨事トラウマによる公務上の療養を申請したが、業務との関連性すら認められなかった。Kさんは「公務上療養の不承認を通知された。悔しかったけど、ひとまず早く退職しようと思って、異議を申し立てずに受け入れた」と話した。

 最近、仁川(インチョン)で1週間以上も行方不明になっている消防士のAさんも、梨泰院惨事の現場への出動後、トラウマを訴えていたことが分かった。Aさんは仁川消防本部のカウンセリングの過程で心理的不安を訴えて病院診療を勧められ、惨事直後の2022年11月から12月にかけて4回の精神科診療を受けた。Aさんの家族はSNSで「(Aさんは)消防隊員だった。梨泰院惨事では班長として先頭で指揮し、その時に深刻なトラウマが生じてこのようなことが起きた。(Aさんの)部屋からは、惨事直後のうつ病の診断書とうつ病の薬が発見された」と語った。

 仁川消防本部の関係者は、「2022年に病院で診療を受けた際、さらにカウンセリングが行われ、その時、6カ月ほど病院に通うように勧めた。ただ、当時Aさんは大丈夫だと言ったと認識している」と述べた。

 2023年に国会行政安全委員会に所属していたたオ・ヨンファン議員室(当時共に民主党)が消防庁から提出を受けた資料によると、梨泰院惨事の救助活動にあたった後にトラウマ治療を受けた消防士の数は1316人にのぼる。消防士たちは、梨泰院惨事の初期を除くと追跡観察などの措置が不足していると訴える。

 全国公務員労働組合ソウル消防支部のキム・ジョンス支部長は、「本部も特別休暇を与えたり、訪問相談所などを運営したりし、精神科治療を受けた際には費用を支給したが、内部では(トラウマについて)互いにあまり話さない文化があった」とし、「惨事が何しろ大きかったものだから、消防士が自らの苦しみを語れる状況ではなかったし、本部も初期措置の他には管理してくれることはなかった」と語った。

イ・スンウク、イ・ジュンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/1213891.html韓国語原文入力:2025-08-18 18:32
訳D.K

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