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ワールドカップは私にとって□□□だった

原文入力:2010-06-27午後07:53:06(1961字)
生涯 最初の商売に打って出た就職活動学生 キム氏‘挑戦’
友人・教授とともに踊った舞踊学徒 オ氏‘舞台’
韓国チームが勝てば仕事が増えるコンビニ カン氏‘ジレンマ’

イ・スンジュン記者,ソンチェ・ギョンファ記者,キム・ミンギョン記者

←ワ~ア~極と極を行き来した一夜 2010南ア共和国ワールドカップ16強戦 大韓民国とウルグアイの競技が繰り広げられた26日夜、赤い悪魔たちは両極端を行き来した。イ・チョンヨン選手の同点ゴールに喜ぶ盤浦 漢江市民公園の市民たちの表情(左側)と、ウルグアイの追加得点に残念がるソウル広場市民たちの姿が対照的だ。パク・ジョンシク、キム・ミョンジン記者 anaki@hani.co.kr

一場のあまりに楽しい祭りが終わった。韓国代表チームの最後の競技が繰り広げられた26日夜、全国219ヶ所101万人余りが通りを埋めた。祭りは広場だけでなく、家の近所のビヤホールやチキンの置かれた居間でも開かれた。

26日夜、ソウル広場で会ったチャン・ウォンジェ(36)氏にとってワールドカップは "家族と過ごした楽しい時間"として残った。チャン氏はこの日、身重な婦人とタビッ(3),イェビッ(2)二人の息子を連れて広場に出てきた。家族全員が真っ赤なティーシャツを着て、パパは二人の息子が乗るベビーカーを押した。熱血青少年シム・ハング(17)君にとって今回のワールドカップは "物足りなさ" だった。シム君は競技が終わった後 「広場まで汚くしておけば、さらに憂鬱だからね」と言って友人たちと掃除を始めた。

6月の1ヶ月間‘熱病’を病んだ人々にワールドカップはどんな意味だったのだろうか。

■私には‘挑戦’だった 「小心な性格を克服しようと生まれて初めて商売をしました。」キム・ドンシン(25)氏は去る17日、アルゼンチン戦の時、ソウル広場で即席写真を撮り1千ウォンで売る商売をした。京畿軍浦の家からフィルム500枚を準備して午後2時から席を占め、250枚ぐらい売った。利益は残らなかったもののキム氏は「良い経験をした」と話した。彼は「写真を売るために‘世の中に一枚しかない写真を差し上げます’という文句も作り、当初計画した写真代2千ウォンを1千ウォンに下げる‘大きな決定’もしてみた。

去る2月に卒業した後、就職準備中のキム氏は今回のワールドカップを通じて‘挑戦’という言葉を胸に抱いた。「代表チームが難しいと思われた16強に上がったことも、そして8強の入り口で挫折するのも見たじゃないですか。今回の経験が小心な性格を克服し就職する上で大きな力になりそうです。」

■私には‘舞台’だった  「踊る人々なので、皆で一緒に応援し踊ったことだけでも幸せでした。」ソウル総合芸術学校舞踊芸術学部1年 オ・グァンソク(19)氏にとって、今回のワールドカップは‘舞台’だった。ギリシャ戦とアルゼンチン戦の時、彼は学校の友人たちとソウル、永東大路で‘ストリート ダンス フラッシュモブ’をした。一人が踊り始めれば一人二人と人々が合流し身体を揺さぶった。オ氏は 「舞踊芸術学部が主軸になって教授様と友人たちが意気投合したが、結局 数百名が一緒に交わる大きな場を作り出した」として 「4年後にはアンプを持って行き通りをより大きな舞台にするだろう」と話した。

■私には‘ジレンマ’だった  コンビニ職員カン・ヨング(26)氏はワールドカップ予選3競技を全て仕事場でスマートフォンでちらちらと観た。「お客さんたちが押し寄せてきて、ビールが完全に売り切れ、本当に気が気でありませんでした。ゴール場面を見逃すことがしょっちゅうでしたよ。"

カン氏は 「今回のワールドカップが‘ジレンマ’の連続だった」と話した。 ナイジェリア戦で16強進出が確定した後、カン氏は 「16強へ行けたのは良かったけれど、‘一つの競技が加われば、また苦労するだろうな’という気分がするのはどうしようもなかった」と話した。カン氏は2002年には高3受験生で、2006年には軍隊にいてワールドカップを気楽に見ることはできなかったという。彼は「次のワールドカップの時は、何の心配もなしにビヤホールでビールを飲みながら試合を見たい」として「その時は代表チームが必ず8強以上に上がらなければならない」として笑った。

イ・スンジュン、ソンチェ・ギョンファ、キム・ミンギョン記者 gamja@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/427730.html 訳J.S