「いっそのこと、あの時に死んでいたらと思うこともあります」
20日、京畿道安山市(アンサンシ)のカフェで会ったLさん(31)さんは、4カ月前の「あの日」の傷がまだ癒えていない様子でそう言った。Lさんは、自身が経営していた美容院で、8カ月間交際していた元恋人のC被告(36)が振り回した凶器で刺され、集中治療室で生死の境をさまよったストーカー殺人未遂事件の「サバイバー(生存者)」だ。
Lさんは「事件は未遂で終わったが、あの日以来、自分の人生はすべて破壊された」として、「これからの何十年を、この記憶と不安さを抱えて生きていかなければならない。あの時に死んでいたらどうだったのだろうか」と語った。Lさんにとって「あの日」からの4カ月間は、誰も責任を負わない傷をひとりで耐えなければならなかった時間だった。
ソウル冠岳区新林洞(クァナック・シルリムドン)で刃物を振り回した事件(地下鉄の駅で男が通行人を刃物で切りつけ、1人が死亡、3人が負傷)が発生した7月21日、Lさんは別の「刃物事件」で命を失うところだった。メディアではもう一つの事件として短く報道されたが、その日以来初めてメディアに出てきた被害者は、苦痛のなかでもがいていた。
Lさんは、事件当日の午後2時頃に美容院に入ってきたC被告の目つきを忘れることができない。自宅から凶器を持ってやって来たC被告は、Lさんを見るやいなや、「自分以外の男に会ったら殺すと言っただろ。死ね」と言い、計18回、Lさんの首と胸を刺した。Lさんは気道と食道に穴が開くなどの傷を負い、生死の境をさまよった。Lさんは精神科の薬を飲まなければその場面が夢に出てきて震えると言う。
前兆は明確だった。事件発生の8日前にも、C被告は別れを受け入れられないと言って美容院を訪れ、「おまえを刺し殺したいほど腹が立つ」と大声を出し、コップを投げつけた。Lさんは「5月にも、別れようと言ったらテレビを投げつけてきた。警察に通報したけれど、現場の分離措置と緊急連絡先の案内以外には特別な措置はなかった」として、「通報後の報復が怖くて、それからは通報しなかった」と述べた。
「ストーカー暴力→通報→ストーカー殺人」は、Lさんの事件の2カ月前に発生したソウル衿川区(クムチョング)の「始興洞(シフンドン)ストーカー殺人事件」でも同じように繰り返されたパターンだ。加害者も当時、別れを切りだされて元恋人を暴行し、通報されると恨みを抱いて凶器を振り回した。
ミン・ゴウン弁護士は「家庭暴力やストーカーでなくても、身辺保護(犯罪被害者安全措置)を申し込めるにもかかわらず、案内しなかったことからすると、警察が事案を軽く判断したとみられる」として、「ストーカーの暴力事件の危険性を判断するチェックリストの正確性と信頼度を高め、第一線でこれを適切に使えるよう教育しなければならない」と述べた。
事件直後、亜洲大学病院に運ばれたLさんは、4時間30分もの大きな手術を受けた。幸い命は助かったが、首と胸部には消すことのできない傷が残った。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が激しいため、精神科の薬も毎日服用している。
家計は崩壊した。応急処置と手術費は犯罪被害者支援制度の助けを得た。しかし、その後に続いた傷の治療と精神科の診療は、全額Lさんの負担だ。その費用だけで400万ウォン(約46万円)かかった。生計手段だったが犯行現場でもある美容院は、トラウマのために閉店せざるをえなかった。1人でいることができないLさんのために、母親も仕事を辞めた。
加害者のC被告は弁護士を通じて、示談金3000万ウォン(約350万円)を分割で支払うという意志だけを伝えた。裁判所には7日に反省文を提出した。22日、水原(スウォン)地裁安山支部で開かれた結審公判で検察が無期懲役を求刑すると、その時初めて謝罪した。Lさんの母親は求刑が出ると、傍聴席でハンカチで涙を拭いた。母親は「無期懲役が求刑されても、減刑される場合が多いのではないか」とし、不安だと述べた。
Lさんも「加害者が減刑なしで社会から永遠に隔離されれば安心して暮らしていける。裁判所は厳罰を下してほしい」と述べた。裁判所は来月20日に判決を宣告する。