国防部による陸軍士官学校内の洪範図(ホン・ボムド)将軍像の移転決定の余震が続く中、独立運動記念団体は、陸軍のルーツは「独立運動」だと主張し同校の決定を批判した。
汝千(ヨチョン)洪範図将軍記念事業会、新興武官学校記念事業会、友堂李会栄(ウダン・イ・フェヨン)記念事業会、大韓高麗人協会は15日午前、国会議員会館で「大韓民国国軍の正統性を語る」討論会(コロキウム)を開催。「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の露骨な独立運動の歴史の否定行為は極に達した」とし、「独立戦争の英雄である洪範図、李会栄、池青天(チ・チョンチョン)、金佐鎮(キム・ジャジン)、李範ソク(イ・ボムソク)の各将軍の活動ぶりと大韓民国国軍の正統性を再確認するために、場を設けた」と語った。今回の討論会は、17日の韓国光復軍創設の日を2日後に控えて開催された。
参加者は、国防部による洪範図将軍の胸像の撤去決定を強く批判した。延世大学のワン・ヒョンジョン教授(歴史文化学科)は、「陸軍士官学校の設立精神を代表する5人の独立英雄の胸像の撤去は、まるで陸軍士官学校が私立機関であるかのように国防部が独断で決定を下したという点で誤っている」とし、「抗日独立運動の経緯を理解し、そのルーツを再確認することを心掛けなければならない」と述べた。
韓国光復軍総司令官を務めた池青天将軍の子孫でもあるイ・ジュンシク元独立記念館長は、「今回の決定を聞いて、独立運動家の子孫としてひどい屈辱を感じた」とし、「植民地経験を持つすべての国は独立戦争を自らのルーツとして認めているが、唯一大韓民国の陸軍だけが独立運動をむしろ敵対的な勢力とみている」と述べた。
彼らは、韓国国軍は独立運動から始まったということを強調した。抗日義兵運動からはじまり、新興武官学校、韓国光復軍などへとつながる精神的・人的遺産を韓国軍は受け継いでいるということだ。イ・ジュンシク元館長は「光復以降の初代から9代までの陸軍士官学校の校長を見ると、5人が光復軍出身者だった。同校は光復軍と決して無関係な学校ではないという証拠だ」と語った。同校のチョ・スンオク元教授は「光復後、陸軍士官学校には武装独立運動の経験者が数多く入り、国軍の将校になった」とし、「新興武官学校の出身者が30人あまり、光復軍出身者が80人あまりになると把握している」と話した。
一方、新興武官学校の校長や大韓民国臨時議政院長を歴任したキュ雲尹琦燮(キュウン・ユン・ギソプ)氏の子孫や、韓国光復軍総司令官を務めた池青天将軍の子孫、臨時政府の初代国務令(国家元首)を務めた石洲李相龍(ソクチュ・イ・サンニョン)氏の子孫たちは、この日午後3時、同校を訪れ、祖先の同校の名誉卒業証書を返却した。